薄汚き少女
吹き荒ぶ風とほの暗き大地を、人間を喰らう魑魅魍魎が闊歩する
ここは現世の地獄・京の都
そのあれた京の都の外れに一軒の申し訳程度に茅葺きを蒔いた襤褸の家がある
家中の畳の上に鬼の子が一人
齢は十六、七と言ったところであろうか
墨を流したように美しく長い黒髪に切れ長の目
頭の横に般若の面をつけており、端整なその顔には憂いがみてとれる
もともと鬼の子に家、などという場所はない
いついかなる時も住み心地の良く、人目に付きにくい空き家を仮の住みかとし、
住みづらくなったら次の空き家を探す
幸いこの家は人目につきにくく、住み心地も悪くない
鬼の子の憂いの原因は己の目の前で飯を炊く一人の少女
齢五、六程であろう、首と肩の付け根辺りで不恰好に切り揃えられた枯葉色の髪、
羽織っている薄い赤色の服の裾はこれまた不恰好に短くなっている
ー都での暮らしー
せわしなく飯炊き処を裸足で歩く幼子が鬼の子に問う
「鬼子お姉ちゃん、粟には魚がいい?それとも鳥がいい?」
「どちらでもいい、なんなら餓鬼を肴に酒を飲んでもいいんだぞ」鬼の子、日本
鬼子は憮然とした面持ちのまま告げる
鬼に睨まれれば大の大人でも持っている物一切合切を放り投げ一目散に逃げ去る
しかしこの幼子は睨み付ける鬼の子に恐れるどころか笑みを返している
敬語は難しいから嫌だ、と鬼に対して砕けた口で話す少女
(やりづらい…餓鬼一人に何をてこずっているのだ…)
「夕御飯ができたよ」幼子は端の欠けた盆に粟と魚、それに野菜の浸し物を
二人分装って危なげな歩みでゆうげを持ってくる
鬼の子はもちろん、幼子も一切の職を持っていない
それでここまで多くの品数を揃えているのだ
(あらかた、餓鬼が市から盗んでくるのだろうな)
幼子が朝早く一人で外に出掛けていくのを何度か鬼の子は見ていた
なにぶんこの混沌の地で一番に優先すべき事柄は生きることだ
聞くと幼子の両親は幼子が歩けるようになった時に病気で死んだらしい
身寄りもなく、天涯孤独の小さな身ではここでは到底生きていけないのだ
喰い物を盗むのは言ってみれば生きるための知恵、と言えるだろう
ー鬼の子の嘆息ー
そんなことを考えつつ粟を手で掴む鬼の子
「鬼子お姉ちゃん!お行儀悪いよ!」すかさず幼子の怒声
軽く舌打ちしつつ不慣れな箸を手にもつ鬼の子
ちなみにこの幼子に名はない
人に名を与えておきながら己に名乗る名がないのはたいそう滑稽であるが
鬼の子は幼子を『餓鬼』と呼ぶので支障はない
「ごちそうさま」鬼の子は空になった碗に向かって渋々手をあわせる
これをしないと幼子は彼女を解放しないのだ
「はい、お粗末様でした」満足そうな笑みを浮かべる幼子
碗を片付ける幼子を尻目に鬼の子は壁に立て掛けてあった薙刀とここ数日の間に
人の死骸から手に入れた小太刀を持ち、立て付けの悪い戸に手をかける
「またどこか行くの?」
「ああ、ここに四六時中いると気が狂いそうになる」
鬼の子の皮肉にも笑顔で居続ける幼子
(全く面倒だ…)戸外に出ながら彼女はまた一つ溜め息…
『看病したお礼に…また遊びに来てください』
この言葉を鬼の子は心中で呪い続けた
この言葉を律儀にも遵守した彼女にあれよあれよと理由をつけて
己の家に居座らせている幼子のしたたかさには舌をまく
珍しく満月が都を照らす夜に、鬼の子の向かう先は瘴気の立ち込める路地
瘴気の中を蠢く物怪の数はおよそ四十
元々この界隈は物怪の数が多かったが最近さらにその数を増しつつある
そこで腹ごなしがてらこうして奴等を斬り伏せているのだ
「この粘つくような空気…なんと心地よいことか!」
叫ぶ鬼の子の存在に気付き警戒を強める物怪
「平時よりちと数は多いが、お前らごときに私が喰えるかな?」
鬼の子は不敵に笑うと肩にかけた薙刀を諸手上段に掲げる
爪先に力を込めて都の大地に深々と足跡を遺しながら鬼子は
眼前の敵へと駆け寄る
ふっと息を吐きながら最前列の物怪の体を竹を割るが如く両断する
突進した勢いを殺さずに両断した姿勢から突き上げるように物怪の腹の辺りへと
薙刀を差し込む
警戒していたとはいえあまりの速業に虚を突かれる物怪
その隙をつき、鬼の子は足を振り上げて物怪の首をはるか遠くへと蹴り飛ばす
休むことなく、ひたすら前にいる障害を削り取る
幹竹、袈裟斬り、横薙、右切り上げ、逆風、左切り上げ、左薙、逆袈裟、刺突…
物怪の体をたたき切る鬼の子
数にして廿程の物怪を斬り伏せて息をつく鬼の子へと、
四方八方から物怪が襲い来るが、襲うべき対象である鬼の子の姿は忽然と消える
不意に月の明かりが翳る
物怪たちが空を仰ぎ見るとそこには
蝶より軽く、鳥より高く、広い空を我が物の様に舞う美しい一人の鬼の子がいた
物怪の最後尾に舞い降りた彼女は左の手で横薙ぎに薙刀を振るい十程の物怪を斬
り伏せる
腕が伸びきった所に余りの一匹が襲い来るが腰から小太刀を抜き、
それの目玉に突き入れ、そのまま頭を叩き斬る
「成る程、これはこれで使いやすい」刃に付いた血を拭いながら呟く
「さて、一掃し終えた所でそろそろ帰ると…」
その時感じた違和感
最初にいた物怪の数と斬った物怪が食い違っていた
何匹か足りない…
奴らに逃げるという発想ができるわけがない
やつらは低能の怨霊なのだから
あるとすれば更なる負の感情の対象を見つけたか…
自然と張り付くような汗が鬼の子の頬を伝う
胸に鉛を入れたかの如く重く感じる体に鞭を入れて幼子のいる家へと駆ける…。
ーなれの果てー
幼子の待つ家の建つ道に戻ると、そこには五匹程の物怪と襤褸きれらしきものが
家の前に転がっている
物怪は気色悪い動きで襤褸きれをつついている
その襤褸きれはなにか、など一目見るだけでわかる
首と肩の付け根辺りで不恰好に切り揃えられた髪、薄い赤色の服の裾はこれまた不恰好に短くなっている
襤褸きれは、変わり果てた幼子であった
幼子の回りには青菜などの野菜が転がり、物怪に踏み潰されている
大方、夜半に盗みを働いたのだろう
あの物怪達は都に住む人間が幼子に感じていた憤り
それを感じ取って負の根元であるその子を喰おうとしているのだ
と冷静に目の前の出来事に判断を下す
同じ釜の飯を喰った仲の人間が襤褸きれにされたにも関わらず
余りにも冷静な判断であった
鬼の子の顔は何も映していない
ただ……
ただ無表情に、こいつらの肉片をひとかけらも遺さず粉々にしてやろうと
憎悪で真赤に染まる目に水の粒を湛えて奴らに迫る
音もなくただ薙刀で奴らの首をはねる
とんだ首を十に斬り百に斬り千に斬り万に斬り粉微塵になっても斬りつける
胴体は全て踏み潰し、物怪がそこにいたことなどを感じさせないほど粉々にする
真赤に染まる目
服につく赤黒い返り血
鬼の子はひたすら薙刀を振るった、その顔には何も湛えず…
残ったものは鬼の子と襤褸きれと化した幼子
喰われる一歩手前であったがゆえ、その息は弱々しく
心の臓も時々思い出したように動くだけであった
(これは助からない…)鬼の子は直感した(人間は脆いものだな…本当に脆い…)
(今、楽にしてやろう…)
小太刀の柄に手をかけ、鬼の子は呟く
「恨んでくれて、構わない」
鉄のむせかえるような臭いがあたりに立ち込める
ー温かき掌と苦き笑みー
幼子は光の中目を開けた
頭が酷く痛む、体は重く言うことを聞きそうにない
「起きたか」静かな声が聞こえる
そちらに目を向けると鬼の子が足を組み、壁に体を預けて座っていた
「鬼子…お姉ちゃん?」嗄れた声で鬼の子の名を呼ぶ幼子
「あたし、生きてたんだ…」しっかりとした木で造られた天井に目を戻しながら
呟く
「あぁ」疲れたように鬼の子は呟く
「…ちなみにここは古くなった神社だ
今は寺が主流らしいからな、八百万の神の力も微弱で私の体にも負担はそうない」
鬼の子は幼子に目を向け、告げる
「お前、自分の頭を触ってみろ」
幼子は自分の呼び方が『餓鬼』から『お前』に変わっていることに疑問を持ちな
がらも自分の頭に触れる
額のあたりに何か小さな固い突起がある
「お前は…鬼になったんだ」鬼の子は静かに告げる
「お前は物怪に襲われ文字通り虫の息であった
その死にかけたお前の口の中に私の血を半分くらい飲ませた
鬼の血は治癒力が高いのはお前も知っているだろう
だから人としての体を失えばお前は生き長らえることができると思ったんだ」
自分の腕を指で切る仕草をしながら説明する
「…恨んでくれて、構わない…」頭を床につく鬼の子
痛む体を押しつつ布団から這い出た幼子は鬼の子の手を力強く握る
「お姉ちゃん、ありがとう」幼子の笑顔の無垢な笑顔は鬼の子を明るく照らし、
眩しそうに鬼の子は目を細める
「しかし、私はお前が一生人間から蔑まれるようにしてしまった張本人だぞ?」
幼子のためとはいえ鬼にしてしまったことへの後悔に顔をゆがめる鬼の子
「そこまで言うんだったら…お姉ちゃん、一つお願いをしていいかな?」
「なんだ?」
「あたしに…あたしに名前をください!」
「………………は?」予想だにしていなかった回答が続いたせいか言葉を失う鬼の子
「あたしがお姉ちゃんの名前を決めたみたいに、お姉ちゃんがあたしの名前を決
めて」
自責の念に駆られている鬼の子になお温かい笑顔を向ける幼子
「…やってみよう…」
顎に手をあてがえて考える鬼の子とそれを輝く目で見つめる幼子
「よし、分かった」瞬巡ののち力強く頷く鬼の子
「今日からお前の名は日本小だ」
言い放った鬼の子に対し、今度は幼子が言葉を失う
「お姉ちゃん、それお姉ちゃんの名前に小さいってつけたじゃ…」
「お前が私の名に日本をつけたのだろう?
ということはその名前には自信があってのことのはずだそれにお前は小さいからな
これで小さいをつければ決まりだろう?」
「いや、お姉ちゃん「なんだ?私につけた名前が実は
どうでも良くて自分の名前はもっとたいそうにして欲しかったのか?」
「そうじゃないけ「なら問題ないはずださぁ話は終わりだ!」
幼子・日本小を無理矢理寝かしつける日本鬼子
文句を垂れていた小の胸もすぐに規則的に上下し始める
小が眠ったのを見定めてから己も瞼をおろす鬼子
(笑顔が小さな太陽のように見えたから、なんて下らないことは口が裂けても言えまい)
口の端をつり上げながら苦笑する日本鬼子自身もまた、深い眠りに堕ちていった