GoGo! ひのもとさん
11月某日。20世紀アニメをこよなく愛する人々で賑わうとある町のとある駅。その一角に一体の巨大ロボットが聳えていた。
その白くて未来的なデザインの戦闘スーツの足下に、真っ赤な着物をまとった旅人が、三度笠のふちをくいっと持ち上げ、細く美しい目を限界まで見開いて立っていた。
和と洋、未来と古代が合いまみえたような空気が漂い、道行く人々がその奇妙なコントラストに目をやっている。
――というより彼らが主に目をやっているのはその背中に背負われているいかめしい般若の面である。
なにしろでかい、恐い。まさかあれで海を渡ってきたのではあるまいなという大きさである。駅前の雑踏でも目立って仕方がなかった。
般若の面を背負った少女は、しばしそのモビルスーツを感極まった表情で見上げていた。しばらくして、彼女の桜エビのような唇からぽつりと呟きが漏れた。
「ああ、酒呑童子さま……」
誤解を招きそうなのでもう一度いうが、彼女の前には等身大ガン〇ムが聳えていた。
しかし、彼女の目はその頭の角と鬼のような巨躯に釘付けだったのだ。
彼女にはそれがかつて日の本の国の鬼を従え、源氏に討ち滅ぼされたという伝説の鬼「酒呑童子」に見えたらしい。
ふいに彼女は般若の面を背負ったまま、がばっと地にひれ伏した。お面がぱたりと路傍に伏せられた感じになって、人々は邪魔そうに通ってゆく。
「か、かような場所でお目にかかろうとは存じませんでっ、ああっ、酒呑童子さまどうか、どうかお怒りを静めて、その剣を収めてお聞きくださいっ!
源氏に支配されたこの土地を捨ててはや四百年っ、鬼ヶ島の鬼族は、もはやかつての威容など失った有象無象どもばかりになっておりますっ。
されば、不肖、この『日本鬼子(ひのもと・おにこ)』、本州にてお婿さん探し、もとい、有能な遺伝子、鬼の子孫を探して、ここまでやって参りました!
しかし、かの源氏と互角の戦いをなさった酒呑童子さまがおられれば、鬼ヶ島もかつての力を取り戻したも同然! どうかどうか、わたくしと一緒に鬼ヶ島へ来てくださいませ!」
真っ赤な瞳を潤ませて伝説の鬼を見上げる鬼子さん。
しかし、懸命の訴えにも鋼鉄のモビルスーツは微動だにしなかった。握り締めたレーザー剣を収めようともしない。周囲を行く人々の視線がさらに冷たさを増しただけである。
「……お怒りは存じております」
がっくりと肩を落とした鬼子さん、何を思ったか、とつぜんその肩からするりと着物をはだけた。
サラシに包まれた柔らかな上半身のラインが11月の寒空にさらされた。般若の面を風除けにして、華奢な肩を抱いていた腕を少しずつ下ろしていく。
「わ、わたくし島を出るときに誓いましたの、ぜったいに素敵な肉食系の殿方を連れて帰って、友達に自慢してやろうと。酒呑童子さま、どうかわたくしの覚悟の強さ、しかとその目に焼き付け……ぐるあぁぁっ!」
突然がばっと立ち上がった鬼子さんは、背中の般若の面を盾のように前に突き出し、薙刀の先端を今まさにモビルスーツに向かって一眼レフを構えていた青年の首に突き立てていた。
20メートルくらいの距離を一気に駆け抜けてきた鬼子さんはぜーはーと肩で息をしながら言った。
「おいお前、いま何してた?」
「え……や……」
「何してたっつってんだよ」
「しゃ……しん……」
「それくらい知ってる、そいつは光学式写真機だろう?」
黒髪をさらりとなびかせて、来る前に勉強してきたばかりの知識を不敵に披露する鬼子さん。
般若の盾とその向こうの異様な殺気に、青年はしびれて「あうあう」とうなっていた。
「いいかっ、ここにおわす御方を、誰だと心得る?」
「ガ……ンダム」
鬼子の目がさらに険しくなると、青年はビクッと肩を震わせた。
「あ、RX-78-2……操縦士、アムロ・レイ、き、機動戦士、ガンダムーっ!」
びしっと片手を上げて声高に叫ぶ青年の痩躯を、鬼子の冷たい視線が上から下までじっくりとなぞっていった。
「狐憑きか……さっさと失せろ」
総合的に触れてはいけない人と判断した鬼子さんは、薙刀と般若の盾を背中に収納すると、どこか遠くを見ているモビルスーツに向き直り、とつぜん顔を真っ赤にしてうつむいた。モビルスーツの強靭な太ももあたりを上目遣いに見つめている。
「しゅ、酒呑童子さま、その、ええと、お見苦しいところをお見せ致しまして申し訳ございませんでした……。
わ、わたくし、怒ると少し感情的になるところがあると言いますか、でも、普段はぜんぜん、こんな風じゃなくて、引っ込み思案で人当たりがよくて、友達もわたくしの事をハートフル軍曹と呼んでいるくらいでして。
でも、でもわたくし、好きな殿方を護る為でしたら、……あ、あ、あ、憧れの、人の為だったら……でゅらららぁぁっ!」
「っぎゃあーっ」
再びモビルスーツを狙っていた一眼レフは、般若の面の頭突きを受けてひっくり返った。
「しつこい狐憑きだ、焼き殺したろうかいっ――はっ!」
その瞬間、鬼子の表情が融解する。
「はっ、そ、それはっ……!」
そのとき青年のジャケットがはだけて、プリントシャツの図柄が露わになっていた。
そう、モビルスーツ――鬼子の頭の中では酒呑童子――の顔部分が大きくプリントされたシャツである。
モノトーンのいかめしい鬼の双眸に見つめ返された瞬間、鬼子の胸が、きゅんとときめいた。
(ほ、欲しい! あのシャツ、超欲しい――!)
彼女の胸の中で新しいなにかが弾けた。そう、なにかが。 ∨1
前回までのあらすじ――酒呑童子を護るため、ガノタを般若の面(等身大)でぶっ飛ばした日本鬼子さん。ところが粗暴な胸の中で何かが弾けてさあ大変。 ∨2
鬼子さんの胸の中で、何かが弾けた。
それは窮屈なサラシの戒めを突き破って豪快に暴れだした。
否、もっと正確に言えばそれはサラシの中に押し込められていた二つの不埒な――。
「姐御ーっ! 危ないでヤンスーっ!」
そのとき、何者かが鬼子さんの背中に抱きつき、暴れ狂う胸を必死に押さえつけた。
「ふにゅっ!?」
目を丸くした鬼子さんは自分の胸元を見下ろして、まさに傍若無人に膨れ上がった一対の脂肪の塊が、一対の翼によって間一髪、ぎりぎり深夜放送が可能なレベルにまで隠されている様を目撃していた。
「姐御……おっぱいあるところ、あっしらはどこにでもお供つかまつりヤス」
翼で乳をさすりながらそう言ったのは見るからにさもしい鳥である。
鬼子の背中にはりついて、イヤミに笑って見えるクチバシを開閉して耳障りな声を放った。
「あっしの翼ではおっぱいを揉む事はできやせんが、せめて隠す事ぐらいの事はできやすぜ……!」
「ヒワイドリ……き、貴様……っ」
余裕たっぷりに見えたヒワイドリは、汗をだらだらかいていた。
「ふふふ、どうしやした、いつもならこんな事をした日にはあっしは切り刻まれて鬼のごとくに踏まれている筈なんですがね?」
「ヒワイドリ、バッカだなお前」
とつぜん背後の路面からクロアジっぽい魚が顔を出し、短いキバがにょっきり生え揃った口をぱくぱくさせていた。
周囲に牛小屋と生ゴミを混ぜ合わせたような異臭が漂いはじめ、群集がざわめきながら彼らから彼らから距離をあけていった。ガンダムの前にぽっかりと空間が生まれた。
「乙女心がわかんねーやつだな。姐御はとうとうお前の猛烈なアタックに負けて、お前を受け入れようとしているんだぜ」
「なっ。し、失礼しやした姐御っ! そうでやしたか、ようやくあっしの抱き枕おっぱい付きになってくれるんでヤスね!」
「バッカだなお前、姐御はお前なんか眼中にねーよ図に乗るな」
「どっち!?」
ヒワイドリとヤイカガシは、いつも二匹でつるんで鬼子に付きまとう所謂ストーカーであった。
下品なおっぱいトークをしゃべらせたら八時間とまらないヒワイドリと、いつも想像を絶する悪臭を放つヤイカガシが現れると、どんないいムードの合コンも台無しにしてしまう合コンクラッシャーなのだった。
「さぁさ、遊んでないでいつもの姐御を見せてくだせぇいつものっ! あっしはもう準備万端ですぜ……あぎゃあいやあぁっ!?」
はしゃいでいたヒワイドリの体が、得体の知れない炎に包まれた。
なにか霊的なものを燃料にして、鬼子の白い肌からオーロラのごとく美しい火が噴きあがり、貧相だったヒワイドリが見る間に炎の羽根に彩られていった。
「バッカだなお前さっさと手を離せ死んじまうぞっ!」
「いや、だ、俺が、死んでも、この、手は、自主規制の、手、だけは、未来の、子供たちの、ため、に、守ら、ないと……!」
もはや高熱で全身が炭のように黒くなり、異様な植物の蔓のようにねじ曲がってゆくヒワイドリ。
このままではヒワイドリの体に自主規制が必要になってくるぞと思われた、そのとき。
眼前が真っ白になるくらいの閃光が額を打って、ヒワ&ヤイは否応なく弾き飛ばされた。
「「うひゃぁぁぁっ!」」
駅前は炎に包まれていた。
群衆の見守る中で、鬼子を包んでいた炎はみるみる巨大に膨れていく。
駅の人々が見上げ、ガンダムすら見上げるほどの高さに、日本鬼子の巨体があった。
黒髪が流星群のようにきらめきながらユラユラ風になびき、不機嫌な顔でじろりと彼らを見下ろしていた。
その表情の横に、あれほど巨大だった般若の面がぴったりと添えられている。
他の衣服とは違って、どうやらこの面だけは大きさを自在に変えることは出来ないらしい。
「あ、姐御ぉぉっ!」
暴れん坊の胸を隠しながらゆっくりと片足を持ち上げ、がたがた震えるヒワイドリの頭上にその影を重ねた。
「お願い、優しく、してぇっ!」
懇願するヒワイドリを、巨大な下駄でずがんと踏みつぶした。
つま先を中心に燃え広がった炎が、ヤイカガシの体に溜め込んであったメタンに引火し、大爆発を引き起こす。二匹は共に何かを叫びながら空の彼方に飛ばされていった。
「超気持ちいいーっ(キラーン)」
「おっぱいプルーンプルン!(キラーン)」
ガノタ青年は一眼レフを胸に構えたまま、しっかりと目の前の一部始終を目撃していた。
半分興奮しているような、半分恐怖に歪んだような顔つきだ。
オーバードライブを放った直後、巨大な鬼子さんの身体は雲のように分散してしまい、ただの炎と化してしまった。
そしてその足元に、はだけていた着物をびしっと元のように着こなした鬼子さんが元のように立っていた。
番傘を開いて降ってくる灰を除けつつ、二本の角とひどく哀しげな表情を空に向けていた。
「また、つまらぬ男を、萌やしてしまったわ……」
そう、こうして日本鬼子の華麗なる日々が幕開をけたのであった。 ∨3
「い、いやだぁぁーっ! 売りたくないぃーっ!」
「姐御っ、イヤイヤなさっても詮ありやせん! ここはどうか、あっしらの為にもひと肌でポっカポカに温めてくだせぇっ!」
「バッカだなお前ちがうだろ、そこは『一肌ずつ脱いでいってください』だ」
「そうそれ! お前つくづく天才だなぁ、お願いしやす姐御っ!」
「ぬーげっ、ぬーげっ!」
日本鬼子さんは平素の黒い目から涙をこぼし、かぶりを振っていやいやをした。
「皆さんひどいです、どうしてわたくしばかりを虐めるのですか? この不況の時代が悪いのでしょうか?」
「そこはそれ、このゲームの仕様です姐御っ、ここはどうしても売らなきゃなりませんぜっ!
……それとも、あっしらに売る物件を選ばせていただけヤスかっ!?」
「ただでさえ泣きそうなのにNPCのセリフを繰り返さないで頂けますことっ!?
もういいですわこのヒト何も考えずに安い方から適当に売るんですものここは断固として『いいえ』ですわーっ」
ぽちっ。
『……では選ばせて頂きます!
出雲のそば屋!
出雲のそば屋!
出雲のそば屋!
……』
「あああああああ押し間違えたああああーっ!」
正座したまま前のめりに叫ぶ日本鬼子さん。
膝に抱えたコントローラをかちかち鳴らしているが、崩れてしまった独占はもはや元に戻りようもなかった。
『出雲のそば屋!
……以上の物件です!』
「うわーん、返してーっ! わたくしのわんこそばイベントを返してーっ!」
鬼畜な桃太郎に向かって号泣する鬼子さんに向かって、ヒワイドリは平素でもいやらしく笑って見えるクチバシをかちかちならした。
「いいじゃないっすか減るもんじゃなし!」
鰯の頭を持つヤイカガシはエラをかぽかぽ開閉させて笑った。
「決算が楽しみですなぁ、姐御!」
「あ、あのぅ……」
四つ目のコントローラを握ったガノタ青年が、おずおずと発言した。
鬼にも妖怪にも見えない、場違いにもほどがあるごく普通の若者であった。
「いや場違いとか言われても……そもそもここ、僕の部屋なんですけど? それなのになに? 何なんですかこの人たちは?」
しかし、あんまり肩身が狭くて地の文にしか話しかける事ができないといった有り様である。
ここが彼らの溜まり場になってしまった原因を、ガノタ青年はいまだによく把握できない。
日本鬼子さん曰わく、
「先ほどあなたの内着を拝見させていただいた時から、ただ者ではないと確信しておりましたわ。
この部屋に飾られた多数の酒呑童子さま(駅前の等身大ガンダムの事)のお写真、そして多種多様な魂のこもった鬼の人形。
この異様な内装を見たとたんに、わたくしすべてが判りましたの」
鬼子さんはフィギュアで溢れた棚から勝手に拝借した緑色と赤色の精巧なロボットを戦わせていた。
「かつて鬼族を二分する偉大なる合戦をなさった青鬼さまと赤鬼さまの形見が何よりの証拠……あなたは、ヒトの姿に身をやつしたわたくしと同じ鬼族なのだと」
青年はごくりと喉を鳴らして、鬼子さんと膝を突き合わせて正座した。猫背が「?」のカーブを描く。
「あの……何を言っているのかまるで釈然としないんだけど僕のザクとシャア専用ザクを戦わせて思い出に浸らないでくれます?」
鬼子さんは窓の外に目を向けた。
そこからは駅前の等身大ガンダムが一望できる。
金棒を片手に携えた精悍な立ち姿のロボットを、何故か頬を赤らめてうっとりと見つめていた。
「……千年経って今なおこうして日々、酒呑童子さまを御守りしておいでだとは。わたくし、感動に胸がいっぱいですわ」
「つまり、君は何なの? 君もガノタだから、この部屋が欲しくなったの?
ダメダメ、僕はここに住むために職場から人間関係から人生のすべてを否定して同時に決定してきたんだもの。そう簡単に譲れる部屋じゃないんだよ」
「お願いしますっ!」
いきなりガバッと土下座する鬼子さんから、ガノタ青年は片膝立ちになって遠のいた。
「みながわたくしに豆をぶつけてくる、あの忌まわしい節分の日だけでいいんです……年に三回、ここをわたくしども鬼族の共同避難所として共用させては頂けませんでしょうか?」
「節分って年に三回もあったんだ……」
「お願いしますっ、何でもお手伝いしますっ。お休みは週に二日ほど貰えたら結構ですからっ」
「ほぼ毎日居座るつもりなのかっ! そんなに節分が来たらいくら豆があっても足りないよっ!」
青年は立ち上がって髪をかきむしった。
「あのねぇ見てわからないかなぁ、僕は歴代ガンダム一直線のオタクなのー。
鬼の美少女と同居するなんてさ、高橋留美子的な展開なんか別に期待してないっていうかさ、まさに誰得? なんだけど?
てかさ、君そもそも何者なわけ?」
鬼子さんはうるっと目に涙を浮かべた。
「覚えて……おられないのですか? わたくしです、日本鬼子でございますよ?」
「や、な、なんだよその涙はっ。僕に失われた記憶はたくさんあっても君みたいにただ黙って座っているだけで紅葉を散らかすような子は知らないぞっ」
「無理もございません、あなたはまだ小さかった頃ですから……
そう、あなたは源氏の支配下に置かれたこの日の国で、かつてわたくしども酒呑童子の一族と袂を解った鬼の一族。
酒呑童子さまが安倍晴明との戦いに敗れたあともなお戦い続けた一の子分、茨木童子さまの末裔」
「あー、つまり? なんなの?」
「――つまり、あなたとわたくしは血の繋がった兄弟にあたるのですわ」
ガノタ青年はあんぐりと口を開けた。なにやら心当たりがあったらしい。
「姉……さん? ま、まさか……」
なんと、ガノタ青年には偶然にも生き別れの姉がいた!
鬼子さんはゆっくりと頷いた。
「弟よ、よろしくお願いします」
「いえいえこちらこそ……」
こうして日本鬼子さんと弟(?)との奇妙な共同生活が始まったのだった。 ∨4
冴え渡る空の下、日本鬼子さんは息を切らして長い長い石段を駆け登っていた。
賽銭箱の鈴がガラゴロと地味な音を立てると、障子を透過して白髭の神さまがひょっこり顔をのぞかせた。
「神さま、どうかお願いします……」
鬼子さんは柏手をぱんっ、ぱんっと二回打ち鳴らし、なにやら心を込めて祈っている。
いったいどんな祈りの内容なのか、名の知れた神さまも年季の入った額を垂れて困った様子。
祈り終わると、鬼子さんはくるりと背中を向け、袖からもみじを散らし、下駄をからころ鳴らして去っていく。
これをかれこれ五十回は繰り返している。
そんな古式ゆかしい鬼子さんの様子を、落ち葉の積もった境内の脇からひょっこり見守る二匹のストーカーがいた。
どちらも激しく萌えているらしく、はぁはぁ息を荒げている。
エロい鳥の方はニヤニヤと小悪魔的に笑い、揺れる胸しか見ていないし、
エロい魚の方はいかにも辛そうで過呼吸に陥っているようにしか見えない。
「なぁ、ヒワイドリ。俺そろそろ水に入らないとヤバいんだけど?」
ヤイカガシは心なしかやつれて、息も絶え絶えに言った。
「踏ん張れヤイカガシ、お百度参りだからもう折り返し地点だ、あと五十回は拝めるぜ」
「五十回もか、いくら好きなアニメでも五十回見たら萎えるわ」
「へっへーん、俺は揺れる乳がそこにあれば千回は平気で再生してる男だぜー」
「そう、たしかあれは今年の夏――くそう、お前のせいでエンドレス・エイトの悲劇を思い出したじゃないかーどうしてくれる」
などと退屈極まりないじゃれあいをしていた。
くそっ、パンツ分だ、足りないのはパンツ分なんだ……などとぶつぶつ呟くヤイカガシに、ヒワイドリは得意げな笑みを向ける。
「ちなみに姐御が一体なにをお祈りしているか、知ってるか?」
「ん? そりゃ姐御が祈ることと言ったらいつも決まってるだろ。
世界が平和になりますようにとかー、ひとりでもいいから友達が欲しいとかー、わんこそば食べたいとかー……」
ヒワイドリはがっくりと肩を落とすと、はぁーあとため息。
羽を人差し指に見立てて左右に振った。
「ちっ、ちちっちっ、おっぱーい♪」
「ウゼー、それこんど使ってもいい?」
「一回百円な。あのなぁヤイカガシ、ここは出雲大社。縁結びで有名な神社だぜ?」
二人は大きな神社を見上げた。
八百万の神さまの総本山である出雲大社は、鬼子の大好きな「わんこそば」で有名なだけではなく、縁結びの神さまとしても有名な場所だったのだ。
「そうか、なるほどつまり姐御は――」
――もっともっとおっぱいが大きくなって――
「――思う相手と結ばれいんだ。バッカだなお前、俺の発言に変な思念を挟みこむなよ、このスーパー・オッパイストめ」
「一回百円な。けど姐御が気になりそうな肉食系の男なんて結局いなかった気がするなぁ」
「バッカだなお前、お前の目はおっぱいか。
あれだろ例の『酒呑童子さま』にお近づきになりたいんだよ。
昨日も猛アタックして全然無視されてたからな」
「へーっ、だから必死なんだ……
えっ、でもあれ……」
「だよな……」
「ガンダム……だよな」
「……それ以上言うなよ……」
ふたたび鬼子さんがカラコロとやって来るのを、二匹は神妙な面持ちで見守っていた。
その健気な様子に肩を震わせ、思わず涙さえ流しそうだ。
「姐御ぉ、寒そうでヤスけど、嬉しそうでヤス……」
「……それ以上言うなよ……バッカだな、お前……」
相手は二次元の住民だったなんて、とても教えられる状況ではない。 ∨5
前回のあらすじ――静岡県のガンダムに恋して島根県でお百度参りをする鬼子さんの恋する桃太郎電鉄。
鬼子さんは少しでも思いを込めようと、まぶたにきゅっと力をこめて祈っていた。
――神さま、お願いします。
――どうか、酒呑童子さま↓が
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1289093351/
――たった一度でもいいから、わたくしの事を見てくださいますようにっ!
お百度参りも終盤、ついに九十九回目を迎えようとしていた。
まさに鬼気迫る思いの鬼子さんが鈴をがらごろ打ち鳴らした、その時であった。
ぶつっ――。
鬼子「あっ」
ヒガシ「「あっ」」
ストーカーたちも思わず声をあげた衝撃。
切れるはずのないぶっとい綱が切れ、賽銭箱の上に鈴が落ちてきた。
ぐわららぁーん。
神さま逃げた。
鬼子さんは綱を握ったままぺたりと座り込んで、神さまが置いていったへしゃげた鈴をぼんやりと見ていた。
「あ……姐御……」
くるりと振り向くと、そこにはテンションがいつもの十分の一くらいに下がったヒワイドリとヤイカガシがいた。
「二人とも、なんでここに居るの?」
「そりゃまぁ……あっしらは、おっぱいのある所……どこにでも、駆けつけヤス、から……はは……」
自分のセリフのあまりの空々しさに胸がつぶれそうになるヒワイドリだった。
「……そんなに好きだったんでヤスね? 酒呑童子さまの事を……」
ヤイカガシの不要な一言に、鬼子さんはぼっと顔を赤らめた。
じわっ、じわっと涙腺から温かい液体が染み出てきて、慌てて顔を隠す。
「ちっ……違いますっ、だって、違いますもの、どうせ叶いませんもの……わたくしなんか、どうせこれっぽっちも見向きもされませんから、だから、これは……ひっ、うくっ、そうじゃ、ないんです……えふぅ……」
泣き虫の鬼子が泣きそうになるのはいつもの事だったが、このときばかりはどうにもならない無力感が彼らの心を束縛していた。
ヒワイドリとヤイカガシは、なんか声かけろと互いに肘でつつきあっていた。
(ヤバいっ、姐御を泣かせてしまったっス!)
(お前が先に言えよ、もうこれ以上は限界だっ)
(うぁぁっ! は、般若の目が赤黒く光ってるっ!)
(早くっ! 姐御の暗黒面が暴走する前にっ!)
促されて、ヤイカガシがぼそりと口を開いた。
「あ、姐御は、あの酒呑童子さまを見て、なにか変わった事にお気づきにならなかったでゲスか?」
黒い瞳を瓶に落ちた碁石のようにゆらゆらさせて首を傾げる鬼子さん。
「変わった、事……?」
ヒワイドリとヤイカガシは頷き交わし、交互に言った。
「ほら、例えば何かこう、全体的にカクカクしてるとか……」
「あるいはずっとあそこに立ってて全然動かないとか」
「あと、なんか違う人っぽい感じがするとか……」
「そうそう、例えば作り物っぽ……」
彼らがついに核心に触れようとした瞬間。
空から鈴を転がしたような声が降ってきた。
「まつでしゅーっ!」
前回のおぱらい――いたいけなCカップ16年もののおっぱいが抱いていた脆く悲しい恋心を粉々に破壊し、かわりに固く冷たいガンプラを挟もうとした罪深き俺たちの前に現れたのは、そう、夢に出てきそうなくらいぺったんこな童女だった。――byヒワイドリ
「とうっ!」
一同の頭上を黒い影がよぎっていった。
彼らの前に、ずだんっ、と豪快な着地をしたそれは、まるでサモエドのような巨体の犬だ。
両足がひっかいた地面から雪が飛び散り、犬の足跡が生まれていく。息は極寒の地にいるような白さだ。
いや、それすらも主に忠実な僕の特徴にすぎない。最も注目すべきなのはその背に跨った一人の可憐な童女である。
軽装ではあるが戦国武将を彷彿とさせる装束。
まだ柔らかな頭髪をかっちりとポニーテールに結い上げ、くりくりした意志の強い目を剥き出しにしている。
そしてその背には「小日本一」の旗印が風になびいていた!
「下郎ども、その女の子を離すでしゅ! 恋愛のじゆうを奪うような輩はみんな童貞認定でしゅ!」
おもちゃみたいな日本刀を振りかざしてやあやあ叫ぶ小日本一。
困惑する一同のなかで、鬼子さんはその童女を見て口をぱくぱくさせていた。
「まさか……あなたは小日本一(こひのもと・はじめ)!?」
童女は、む? と眉をひそめた。
が、その隙にポニーテールを引っ張り上げられ、空中でじたばたもがいた。
「ああーっ! やーっ!」
「なるほどこいつが小日本でヤスか」
乳のない女の子にはまるで興味のないヒワイドリが乳を見るかのように興味しんしんだった。
「なーんか見るからに正義の桃太郎って感じっすね……」
「は、離せーっ……ひいいーっ」
「んふーふー♪」
宙吊りになった小日本の足の裏をヤイカガシがペロペロと舐めていた。鬼子さんはたまらず声をあげた。
「お、おやめなさい、ヒワイドリ! ヤイカガシ! かわいそうですわ!」
「ですが姐御! このデザイン、どう見たってうちら鬼族の敵でしょう! ひょっとすると神話の時代に鬼ヶ島に進攻してきた、あの桃太郎の末裔かも知れねえっす!」
「違いましゅ、うちは桃太郎一族なんかじゃありましぇん!」
童女はきっぱりと言い張った。
「き、基本デザインがまだ決まってないから(待ってます!;汗)敢えて誰も手を出さないだろうというところに手を伸ばしてみたでしゅ!
いざとなったらここからどんな女の子にでも変身してみせるでしゅ!」
「み、見上げた根性だぜ……」
童女の大口上にたじろいだヒワイドリに、どこからともなく飛んできたキジが襲いかかった。
「ぐわっ、しまった、お約束のお供が……!」
さらにサルがどこからともなく走ってきて、ヤイカガシともどもお空の彼方までぶっ飛ばされた。
「ぱよぇ〜ん!(キラーン)」
「チクショーメー!(総統閣下)」
犬が背中の上でぽふんとキャッチして、小日本は無事に救出された。
鬼子さんは飛んでいったストーカーたちと小日本のどちらに行こうか一瞬おろおろして、考えるまでもなく小日本のところへカラコロ駆け寄った。
「だ、大丈夫ですの? ……あっ」
お供の動物たちに助けられ、顔をぐしぐしこすってしている小日本。ポニーテールがほどけて長い髪が顔におりている。
そして、そこに隠されていたように現れたのは……。
鬼子の手のひらにおさまりそうな、小さな角だった。 ∨6
だいたい夜七時ごろ、窓の外に見えるガンダムがライトアップされてさらに迫力を増す時刻、湯のたまった浴槽からは絶え間なく湯気が昇って、お風呂場はまさに熱い盛りだった。
鬼子さんは汗の入った目を腕でぬぐいながら、小日本の人形のような背中をごしごし洗っていた。
天使のミルクに浸されていたような純正たまご肌だったが、決して楽な旅をしてきたのではなさそうに見える。
腰まで伸びた黒髪には埃がたまり、あちこち皮膚がかたくなっていたりする。
「ずいぶん長い旅をしてらしたのですね?」
鬼子が言うと、小日本は何やらむーんと唸っていた。
「五ヶ月くらいです」
「何がですか?」
「私が旅をしていた期間です」
「まあ、そんなに?」
「今回はまだ始まったばかりです」
「いつぐらいに終わるのですか?」
「わかりません。鬼を百匹退治するまで、お家には帰れないんです」
「どうしてですの?」
「……そういうお家なんです」
室町時代から妖怪退治などを家業としているお家柄らしい。
小日本の狭い肩にスポンジを乗せて、鬼子さんはむーんと考えこんだ。
人の心に巣くう鬼を退治するのが得意な鬼子さんも、百匹はさすがに大変なノルマだ。
きっと途中でお腹がすいて、ふらふらとわんこそばを食べに行ってしまうに違いない。
わんこそばだったら百杯などあっという間なのだが、それでもだいぶ胃にもたれてくる数である。
しかし酷い話である。どんなお家があれば、こんな見かけは十歳にも満たない子にわんこそば百杯食べるまで帰ってはならないなどという理不尽な修行をさせるだろうか。
そもそもわんこそばは全く関係ないのだが、わんこそばが食べたくなってきた鬼子さんの思考回路はわんこそばが実効支配していてもはやどうにもならなかった。
ぽよぽよしながら涎を垂らしていると、小日本はうつむいて、ぽつりと言った。
「ごめんなさい、空々しいの、わかってます……」
「うにゅー、お腹いっぱぁい、でももう一杯お願いしまぁす」
「わかってるんです、何も知らないいい子のふりしてるの、見えすいちゃってますよね? ……けど、どうでもいい事にしたくないんです」
「今度はつゆだくだくでお願……はっ。えっ? な、何が? 何ですの?」
「本当は私、あの家にいちゃいけなかったんです……」
「まぁ、急にそんな、どうして?」
うろたえる鬼子さん。
小日本は濡れた黒髪の間を触った。そこには骨のように白い角が尖っていた。
「だって、私、角が生えてるから……」
「わたくしも角が生えてますわよ? ほら」
「……聞いてます?」
まるで話についていけてなかった鬼子さんは、さらにぺしんと膝をたたいた。
「それよりもさっき良いことを閃きましたの小日本、今日からわたくしの子分になりなさいっ」
「親身になって聞いてあげるという発想ができないのこの人!?」
「もうっ、なるの? ならないの? はっきりしなさいっ」
「展開はやっ!?」
そして話はいつの間にか二人でわんこそばを食べにいく具体的な計画にうつっていた。この間、小日本はぽけーんとするしかない。
「そうですわねぇ、老舗といえばやっぱりやぶ屋か嘉司屋か、東屋も外せませんわねぇ。けど花巻あたりをうろつけば結構ちらほらと……」
鬼子さんの鬼マイペースぶりに困惑する小日本だったが、あんまり楽しげにわんこそば食べ歩き計画を話すのに当てられて、次第に惚けるような表情になっていった。
「ねっ。わたくしと二人なら、そんな宿題なんてあっという間に片付いてしまいますから。ね」
じつは鬼子の憧れの人、酒呑童子も、かつて人間から見放された茨木童子を拾って一の子分にしたとされている。
鬼子は酒呑童子に自らを重ね合わせているのか、それとも単なる偶然の一致なのか。
鬼子さんは小日本に向かって身を乗り出した。
「キレイな一本角……硬くて、まっすぐ。そういえば茨木童子もたしか一本角でしたわ」
二本角の鬼子さんは、にこにこ笑って、小日本の角のてっぺんをつついていた。
小日本は、次第にかぁっと顔を赤らめていった。何だか釈然としない顔で鬼子に背中を向けた。
湯あたりしたように震えていた。
「……みんなは」
「みんな?」
「みんなと一緒じゃなきゃやだ……」
鬼子さんは、小日本の背中をぎゅっと抱きしめた。
なんだか可愛い妹が出来たみたいな夜だった。
鬼子と小日本がきゃっきゃうふふと戯れる駅前のアパートを、なにやら遠巻きに見つめる不審な人影があった。 ∨7
不思議と爽やかな長髪に誰もがうらやむ超絶美形。タオルを肩にかけてこれから銭湯に向かおうかという出で立ち。穏やかに風呂場の窓明かりを見つめる様は、さながら着流し姿のダビデ像であった。
暗殺者のようでありながら、尚且つまるで殺気を感じさせない、プロ顔負けの気配をまとった彼の元に、もう一人の派手な服装のストーカー男が現れた。
「先に来ていたのか、ヤイカガシ」
これまた少女コミックに出てきそうな超絶美形。白と赤のコントラストが鮮やかな髪の間からは、装いの軽薄さとは裏腹に鋭い眼差しが覗いていた。
どこか虚しい表情を向けたヤイカガシ(美形)の低い声がせまい裏路地に響く。
「遅かったな、ヒワイドリ」
「前にも言ったはずだ、『酉(オレ)の刻は午後七時……』」
ヒワイドリ(美形)は壁に両手をついて、足をネコ科の動物のように組んで髪を振り上げた。
「『イッツ・ゴールデンタイム』……だとな」
口角を吊り上げるでもなく、表情を和らげてみせるヒワイドリ。
石のような表情のヤイカガシ(美形)は、口元だけをかるく動かして「痴れ者が」となじった。
「あの話、考えてくれたのか?」
「お前との話なぞ、いちいち覚えていない」
「俺たち、そろそろ『向こう』に行っちまおうかって話だ」
「またその話か」
「ああ――」
駅前のざわめきが高鳴り、どこか遠くでクラクションが鳴り響く。
「『エロパロ』へ」
ヤイカガシとヒワイドリはふと空を振り仰いだ。
彼らの見つめる先、アパートの風呂場からは、鬼子さんと小日本の騒ぎ声が聞こえてくる。
――やっ、こにぽんさん、そんな所つまんじゃダメですぅ。
――いいな〜お姉ちゃんの角ってすべすべ〜。
――いた、いたた、ひっ、引っ張らないでくださいぃ、さきっぽは危ないです〜。
ヒワイドリはまったく無自覚のうちにそちらに手を差し伸べようとしていた。
だが、何らかの防犯装置に触れたかのように青白い稲妻が広がり、パシッと指先を弾かれた。
人智を超えた強力な結界である。ヒワイドリは左右の電柱に貼られた《全年齢板界》という呪札を恨めしげに見ていた。
「……という事だ」
ヒワイドリが向けてくるまっすぐな瞳を、ヤイカガシは無言で拒絶していた。
「考えてみれば、最初からいい加減な設定で始まったシリーズだ。等身大ガンダムを憧れの酒呑童子と間違えて、ガノタ青年の家に居候するなんて」
「健気ではないか」ヤイカガシは怒気をこめて反論した。「毎日、窓から双眼鏡でガンダムを覗いている彼女を見たか? そのとき、窓の桟で胸がむぎゅっと割れているのを、お前は見たのか?」
「だが、そこには、乳揺れがない」
言葉にならない悲鳴のようなものを、相手の眼差しを通してヤイカガシは痛切に感じ取った。
設定のいい加減さなど、最初の般若の面がすこし大きすぎたぐらいしか考えてなかったヤイカガシだったが、
「言われてみれば、つい最近まで我々が人間になれるという認識すらなかったな……」
「それだけじゃない。他のSSじゃ、俺は三枚目だがやるときはやる、一番人気の出る立ち回りだったはずだ……だが、このシリーズじゃ、ただのエロい鳥どまりだ。
……もう、キテんだよ、俺は。何もかも、どうでもよくなってしまうぐらいにはな……」
イケメン顔で淡々と語るヒワイドリ、その言葉には内なる炎が垣間見えていた。
「それで年齢制限板界の力を借りようというのか?」ヤイカガシは、おこがましいと言いたげに唇を歪めた。「頭を冷やして考え直すんだ、向こうの世界は簡単そうに見えて実は相当な能力を要求してくる」
「それ以外にこの結界を突破する方法があるって言うのか? 入浴シーンに乱入して乳を揉むまでの、この絶望的な壁を、健全なエロの精神だけで乗り越えてゆく事ができるとでも? 俺には、お前がとても正気とは思えない!」
「信じるんだ」
ヤイカガシの恫喝に、ヒワイドリは振り上げていた両手をゆっくりと下ろした。
「信じろ、これは、パンツではない。パンツだとしても、パンツという名の正義だと。だから、守る為に、私は盗む」
「正義……」
思いもよらない名言に、ヒワイドリは頬をはたかれたような顔をしていた。
「守る為に……盗む……」
口の中で繰り返すヒワイドリに、ヤイカガシは、うむ、とうなずいて、それから、異様な物音のする駅の方角に目を向けた。
そこには、等身大ガンダムが立っていた。
否、正確にはただの飾り物であったはずのガンダムが歩いている。路上の人々や車を蹴散らし、ビームサーベルを振り回して建物をなぎ払う。まさに鬼さながらに。
あからさまな怪異。裏路地にたたずむ二人は、その様子をじっと見送っていた。
そしてその怪異が、先ほどまで彼らの見つめていたガノタ青年のアパートにまで辿り着き、サーベルで壁を真っ二つに切り裂いたのだ。
「妙な『乳さわぎ』がするんだが」
「痴れ者が、それを言うなら『おっぱい祭りの匂いがする』だろう」
ヒワイドリは、はじめて皮肉な笑みを漏らした。
「そうそれ、まったく、お前の慧眼には頭が下がるばかりだ」
ヤイカガシの深遠な瞳は、どこか虚空を見つめていた。
「ヤイカガシ、いくでヤンスーっ!」
「うむ、これは、パンツという名の正義だ! うっひょぉーっ!」
風呂場にいた鬼子と小日本の悲鳴が聞こえてくる。燃え上がるアパートに向かって、二人は鳥の群れと半魚人に変化しつつ、駆け出していった。
前回のあらすじ――鬼子さんの入浴タイムにガンダムが襲来してきて俄かにおっぱい祭りの予感。急げ、僕らのヒワ&ガシ!
火の手のあがるアパートを背景に、ガンダムの白い巨体が立ち尽くしていた。
右手に握られた薄桃色のビームサーベルはアパートの壁面をなんの躊躇もなくえぐり、ちょうどガノタ青年の部屋を真上から両断していた。部屋の主の姿こそ見えないが、断面からは彼の積年のガンダムグッズがわんさとこぼれている。
主はどこか、そんな事より気になる風呂場はその隣――壁一枚を隔てて、どうやら難を逃れた様子だった。
「んぉーっ、惜しいでヤンス!」
「いや、まだあの亀裂から風呂場のドアが見えているでゲス! 風呂場から出ようとする姉御に出くわすチャンスでゲス!」
「バスタオル一枚っ! それは萌えピンポイントでヤンス、けど今回はお前と絵師の皆さんにお任せして、ここはあっしがあのデカブツを食い止めるでヤンス! これ持ってけ!」
そう言ってクチバシに挟んだデジカメをヤイカガシにぶんと投げ渡した。
夜空に向かって垂直に飛んで行くヒワイドリに、どこからともなく現れた数千匹ものヒワイドリが群れ集ってゆく。
口々に「ヤンスー」「ヤンスー」「ヤンスー」「ヤンスー」と騒々しかったヒワイドリたちは、巨大な鳥の集合体となって、眼下の動くガンダムに向かって急降下した。
ガンダムが振り返った時にはもう遅い、ヒワイドリの集合体は真っ黒な体のシャドーガンダムに変化して、強烈なタックルでガンダムをビルとビルの狭間に押し倒した。
真上からのしかかって、さらに手足がガムのようにまとわりつき、ガンダムをGホイホイさながらに路上に捕縛した。
「ヤイカガシ、はやく姉御を助けるでヤンス! 男を押し倒していられるのは十秒が限界でヤンス!」
「……このぉ」
拡声器から発せられるような割れ声がガンダムから漏れてきて、ヒワイドリはくるっと目を向けた。
「……へぇ、こいつでやしたか」
「黒い……ガンダムだと? ガンダムは、僕ひとりで充分だっ!」
仰向けに捕縛されたガンダムの背中から、白い炎が噴射されて路面に薄く広がった。バーニアだかブースターだかがあるのだろう、その推力でガンダムはほんの一瞬、ビルほどの高さにまで浮き上がった。
「ぐっ、あっしの全眷族を集めた重さで浮くなんてありでヤスか……!?」
だが、浮いたかと思ったガンダムは一軒ほど移動してすぐに急降下した。再び地面にガンダムを押し倒す格好になったヒワイドリ集合体。だが……
「……おっと、油断したねシャドーガンダム」
その黒い胴体を、腹から背中まで、薄桃色のビームサーベルが貫通していた。
「ヒワイドリ!」
いつの間にかアパートに潜り込んいたヤイカガシが、亀裂から声を張り上げていた。
「ヒワイドリ! 大変だ、脱衣場に姉御のパンツがないっ! ひょっとすると姉御は今日ノーパンなんじゃないか!?」
ヤイカガシが役立たずなスネークをしている間も、ヒワイドリ集合体の傷口から、ばさばさと黒い鳥影が羽ばたいてゆく。ガンダムの胸元には累々と鳥の屍が積もっていった。
「……あんた、ただのガノタじゃなかったっすね?」
「やだなぁ、僕をただのガノタと一緒にしないでくださいよ」
マスクの向こうでにやりと笑った気配がした。
「だって僕、ガンダム検定一級だよ?」
ビームサーベルを真横に振り払って、ガンダムはヒワイドリ集合体の胴体を切り裂いた。
ズュン……!
全身を構成していたパーツがボロボロと剥がれ落ち、無数のヒワイドリになって散ってゆく。
「うーん、やっぱりあっしは戦闘むきじゃねぇでヤンス……」
「ばいばい、シャドーガンダムくん」
まだ半分ほど残された体を、ガンダムの振り上げたビームサーベルが真上から切り裂いた。
焼け焦げたような臭いが放たれ、ヤイカガシの絶叫が響き渡った。
「ヒワイドリーっ! 大変だヒワイドリーっ! こにぽんたんが……こにぽんたんが、あの幼児体型でちっぱいブラつけて寄せて上げているぞーっ!」
すでに頭部全体が散っていたヒワイドリ集合体は、残された片腕でなんとか親指をたてて、綺麗に分散した。
「くくっ。くははは……僕のものだ。もうこれは僕の、僕のガンダムだ。誰にも渡さないぞ、僕の、くくははっ」
しゅらん。
そのとき、荒廃とした街のただ中に、軽やかな鈴の音が鳴り響いた。
しゅらん。
それは鈴を鳴らして歩いて来る。般若の面を身につけ、薙刀を携え、ガンダムの背後からしずしずと。
路傍に倒れていたヒワイドリは、等身大ガンダムの背後に突如現れた巨大鬼子さんを見上げてこうつぶやいた。
「なんだこれ、なんなんだ、このシリーズ……ことごとく、萌えピンポイント・アウトだっ!」
お風呂場から出てきた鬼子さんの姿は黒髪の夜叉そのものであった。
般若の面に寒々しい色合いの冬の着物、袖からはハラハラと雪が降り、向かい合わせの鶴がくしゅんとくしゃみをしている。
夜叉モードである。バスタオル姿の鬼子さんと遭遇するイベントは夢と消え、代わりに舞台は殺伐とした戦場へと変貌した。
「いや、まだだっ、諦めるのは早いっ!」
ヤイカガシが、風呂場のドアの前で声を荒げる。
「まだここに服があるっ、バスタオル姿のこにぽんが、いま、中にい……あぐあぁっ!?」
ヤイカガシは背後から犬とか猿とかキジとかの動物たちに噛みつかれて非常に危険な状態に陥った。
「お姉ちゃんっ」
お風呂場の窓から顔と鎖骨をのぞかせた小日本が、出ようにも出られずに、うう〜と唸っている。
「もうっ、はやくそのガンダム、やっつけちゃって!」
「貧……にゅ……イラ……ネ……」
最期の言葉とともに、ヒワイドリがばたりと倒れて天に召される一方。
等身大ガンダムは唸り声をあげてとつぜん駆け出し、鬼子さん目掛けてビームサーベルを振りかざした。
「うるぉおわあああぁぁぁっ!」
薙刀の先端に青白い炎が灯り、逆三日月の目にぎらりと悽愴な光が宿った。
鬼子さんの袖が白銀の起動を残して回転し、迫り来るガンダムの足下を貫くように薙刀を構えた。
「東屋や 凍える花に 椅子二つ……萌え散れっ!」
等身大ガンダムの胴体が真下から切り裂かれ、夜空を絵巻物の龍のような火柱が飛んだ。
等身大ガンダムは胴体に穴を開けたまま数歩進み、そこで立ち止まったまま微動だにしなかった。
ガノタ青年はすでに操縦桿から手を放しているのだろう。
鬼子さんは憤怒に満ちた般若の面の向こうから、憂いを帯びた声で話しかけた。
「……あなたの心には……鬼がいます。
いえ……あなたは最初から鬼でしたわね? 私の弟ですもの」
「姉……さん……?」
青年の声はうつろで、傷口からスパークがはじける音にも消えかかっていた。
鬼子さんは薙刀をぎゅっと握りしめた。仮面の奥では恐らく歯を食いしばっているだろう呻くような声を漏らした。
「申し訳ございません、私、あなたの身にまとわりついていた鬼を退治するために、今までこのアパートに居候させて貰っていました……」
「なにそれ……」
拡声器から聞こえてくる声には、怒気は感じられなかった。拍子抜けして、鼻で笑っているみたいだ。
「そんな……じゃあ、僕の姉って言うのは……」
「はい……私に生き別れの弟はいません。……本当は、妹です」
お風呂場に隠れている小日本が小さく息を飲んだ。
しかしそんな小さな変化には誰も目をくれない。等身大ガンダムは、消えかかった闘志を再燃させ、次第に息を荒くしていった。
「……ふざけるなっ、あんたたちが僕の部屋で好き勝手するから、あんたたちが僕の楽園に上がりこんで来たから、僕は、僕の部屋を……部屋……を……違うっ、僕のガンダムを守らなきゃならなかったんだ!」
鬼子さんは困った風に首を傾げた。
「あなたのその愛情を、十分の一でも他の人たちには与えられないのですか?」
「こんな価値のない、腐った、現実のいったい誰に対して?」
ガノタ青年が、はっと笑い声を漏らす。等身大ガンダムは心なしか肩を落としていた。
「やだね、一億分の一だって、もったいないよ……」
「あははははは、こっちこっちー」
ヒワイドリ(イケメン)が内股走りで花畑を駆けていく。彼の後から大きな風呂敷包みを背負ったヤイカガシ(ハンサム)が息を切らして駆け寄ってゆく。
「ははははは、待てよこいつぅー」
花畑のど真ん中で二人の影は重なった。ヤイカガシのごつい手がヒワイドリの肩に巻きつき、強引に押し倒した。
「うぐっ……ひんぐっ」
どさっ
花畑に埋もれたヒワイドリの周囲に、ヤイカガシの風呂敷包みから零れた色とりどりのパンティーが散らばっていた。
ヤイカガシはヒワイドリに覆い被さったまま、彼の馬のような首筋に真剣な眼差しを注いでいた。
「俺ひとりに罪を被せるつもりか?」
いつになく真剣なヤイカガシが、ヒワイドリのすっと尖った鼻梁をつついた。
「俺ひとりじゃ寂しいだろ」
「……そのまま一生牢屋から出てくるな」
目を背けようとするヒワイドリの顎を、くいっと自分に向けさせるヤイカガシ。
「――その唇に穿かせるパンツが欲しいな。白い小さな紐パンだ」
逃れようともがくものの、ヒワイドリの顔はますます紅潮し、唇は空気を求める鯉のように小さく開閉していた。
「……もうそんな話はよそう。乳の話をしようじゃないかっ」
「そうしたら君がその可憐な蕾を開くたびに、僕がパンツを脱がしてあげられるのに」
「もうそのネタ何度目だよっ! この変態悪臭魔除け! 息くさいっ!」
「ちょっと我慢してごらん。今日は尻の話がしたい気分なんだ」
「やっ、ヤイ、カガ……シ……やめて……ひっ! やだっ////」
「みさきぃー♪ めぐりのぉー♪↓」 ∨8
ヤイカガシは二度と起きられないと思われたほどの深い眠りから目を覚ました。
「い……生きてた……! 死ぬかと思った!」
不死身の彼が死ぬ訳はないのだが。
黒歴史級の悪夢から現実に戻ってみると、そこはガンダムのプラモが散乱したアパートの一室だった。
ヤイカガシはいつの間にかクッションと一緒にカーペットに寝そべっていた。
「ぐぅぅ、あの動物たちめ……」
全身ずたぼろで、ヒイラギの右手がぷらんと折れている。見上げると夜空がのぞく壁の亀裂。気を失ったのは戦いの最中だったことを思い出す。
アパートの外には火災が広がっており、その手前に半身が大破してうずくまった等身大ガンダムがいた。そしてその手前に鬼子さんの巨大な後ろ姿が見える。
ああ、もう勝負あったのか、とヤイカガシは鼻白んだ。けっきょく彼の出る幕はなかったようだ。
風呂場もいつの間にか空っぽで、小日本は動物たちとどこかに消えているし、もう特にすることもなく鬼子さんと等身大ガンダムのやりとりを眺めていた。
――しかし
脇役に徹しながら不意に彼は思う。
――なんでアレは動いたんでゲスかね?
ヤイカガシはもう一度ガンダムを見た。ただの巨大プラモであるが、物が動き出したこと自体には何の不思議も感じていなかった。
むしろ彼自身もそんな妖怪の仲間に近い。乱暴な言い方をすれば、もともと鰯にヒイラギをくっつけただけの魔除けが妖怪化したのがヤイカガシなのだ。
――百年経って九十九神が降りたのとも違う。
――神通力? そこまで強い鬼を宿していたでゲスか?
鰯の目を膨らませ、視力をぐーんと拡大するヤイカガシ。
不信に思って見つめるヤイカガシの目は、ガンダムの首の後ろに貼られた小さなステッカーを見つけた。
もっとよく見ようと目を光らせたとき、ヤイカガシの呼吸が止まった。
「あれは、まさか……!」
魚の頭部からは、だらだらと油分がにじんでいる。
「まさか……怪器『大天狗の呪詛符』! こりゃいけねぇでゲス! 姉御ぉぉ!」
日本鬼子さんに呼びかけると、彼女は遠くの山にいる人みたいにやや遅れて振り返った。その目はどうしたの?と問いたげに瞬いた。
「逃げてくだせぇ! 『日本狗』さまがすぐそこにいるでゲスよ!」