日本鬼子散魔伝〜序章:萌え散らす鬼〜
全てが曖昧な、非現実的な世界の中で、その赤い瞳だけがはっきりと、僕の目に焼き付いていた。
町のど真ん中にある城跡は、公園となっている。
春は花見、秋は紅葉狩りにと人々が訪れる――言い換えれば、それ以外の時は閑散とした場所だ。
そんな閑散とした場所であっても、これほどまでの怪異があれば、人目につき、通報の一つ二つがあるはずだ。
だが、それがない。
今は夕暮れ時。仕事帰りや学校帰りの人々が出歩く時間だ。
入場料もない町中の城跡公園は、そんな人々の通路であり、現に僕がここにいるのも、この公園を通り抜けるためだった。
なのに、人は僕だけだ。
他の人間が通りかかることも、野次馬が来る様子も、警察が飛んでくる気配もない。
まるで、この公園だけが世界から切り離されたかのような不自然。
そんな不自然な世界で、立った一人の人間である僕は、人にあらざる者達を目の当たりにしていた。
黄昏の光に照らされる、影、陰、カゲ…。
それらは、人に似た何か。
多くは二本の足で立ち、両の腕を肩からぶら下げている。
しかしながらその造形は、人とは明らかに異なっている。
例えばある者は手が異様に長く、ある者は胴体があり得ないくらい細く、ある者は包丁のような爪を持つ。
中ら半端に人に似た四肢をもつだけに、その異形は僕に生理的な拒絶感と不安感を与えた。
ただ奇妙なことに、その化け物どもの容姿は、はっきりと見ることが出来なかった。
まるでそいつらの体は、まるでドライアイスのように、妙な煙を立ち上らせていていた。
煙の大半は散らず、化け物を包むように纏わり付き、その輪郭をぼやけさせていた。
化け物の体から離れた煙も、風に溶け消えることもなく、公園全体を包み込むように広がり、目に映るほぼ全ての物の輪郭も滲ませている。
ひょっとしたら、この霧のせいで、誰も気づかず、また近寄らないのかもしれない。
腰を抜かせながら、混乱した頭の片隅で、なぜか冷静にそんなことを考える僕。
その冷静さは、きっと現実逃避だったのだろう。
なぜなら、その時僕の方へ、一際大柄な化け物が近づいてきていたからだ。
もしも本当に冷静ならば、余計なことなど考えず、這ってでも逃げていたはずだ。
僕はただ、目の前で起きていることについていけず、化け物が自分を叩きつぶそうと
握り拳を振り上げるのを眺めていただけだった。
そんな僕の呆然を消し飛ばす様に、彼女は現れた。
霧を裂く、赤。
続いて靡く、黒。
全てが白く霞む、非現実のなかで、その色彩は僕の目に焼きついた。
「萌え散れいっ!」
続いて知覚したのは、声。
少女の声だ。
若さ、あるいは幼ささえも感じる声は、その声音にミスマッチな程の、
大鐘の様な力強さが込められていた。
その声の余韻が消え去るより早く、断ち切りの音が続いた。
僕ににじり寄ってきていた、化け物の影が、袈裟掛けに真っ二つにされていた。
一瞬の停滞の後、その影は、響いた言葉通りの末路を迎える。
若葉だ。
春先の若木の枝のように、化け物の体から、緑色の若葉が、噴出するような勢いで生える。萌え上がる。
それもつかの間、若葉はその緑の濃さを増し、夏の樹に生えるような濃い緑となる。
そして、それすらも通過点として、変化は続く。
色を濃くした緑の葉は、やがて萎れ、色を暖色へと変えていく。黄や、赤や、茶色へと。
紅葉だ。
色づいた葉は、摂理に逆らうことなく、やがて散る去る。
瞬く間に巡ったで春夏秋。化け物は、言葉の通り萌え散った。
渦巻く風と舞う木の葉の中で、呆然と、僕は彼女の姿を見た。
角が生えた、少女だった。
艶やかに舞う黒絹の髪。
身につけたのは紅葉をあしらった紅い着物。
頭には恐ろしげな般若の面を斜に被り、手には、化け物を両断した得物であろう、大ぶりの槍――いや、薙刀が握られている。
そして何より目に留まったのは、まるで血を固めたかのような、深く赤い、その瞳。
化け物が垂れ流す霧に霞む逢魔ヶ時の中で、その紅瞳は、僕の目にしっかりと刻みつけられた。
死んでも忘れられないほどに、強く強く、刻みつけられた。
これが、僕と彼女―――日本鬼子との出会いだった。
【つづく?】