ID:JNJygHcE氏の無題作品
早朝に肌寒さを感じることが多くなってきた今日この頃。
「う〜ん……」
私、日本鬼子は布団から体を起こし、大きく伸びをした。いい天気だ。外は明るいし、小鳥の囀りも聞こえる。
そろそろ掛け布団を増やそうかな、などと考えながら寝具を押し入れにしまっていく。
寝巻を脱ぐ前に、玄関や窓の戸締りを入念に確認した。神経質と思われる方もいるだろうか。しかし大目に見てほしい。
何しろ私には、ストーカーがついているのだ。自意識過剰、あるいは自慢と思われただろうか。だがこれは事実であり、私自身心底迷惑している。
「よしよし」
窓に閂(かんぬき)は掛かっているし、玄関の板戸にもつっかえ棒を噛ませてある。
今日は珍しく、邪悪な魚と鳥の妖怪の気配も感じない。これなら気分良く着替えられるというものだ。
お気に入りの紅葉柄の着物に袖を通し窓を開ける。山の清浄な空気が、粗末な家屋の中に流れ込んでくる。
そして日課である朝の散歩に出かけようと玄関の戸を開けた直後、私は異常な光景を目の当たりにした。
「……何なの、これは……?」
足の太い、白い小鳥の妖怪(自分ではヒワイドリと名乗っている)の群れが
家の前に無数に転がっていた。百体以上いそうなその気味の悪い生物たちは、みな満身創痍といった体だ。
元気のありそうな数体も、仲間同士で殴り合っている。
「おぉぉ、鬼子ぉ……」
一番手近にいたヒワイドリが、息も絶え絶えに私の名を呼ぶ。
「あんたら、人の家の前で何をやってるのよ」
「お前の乳を触らせてくれたらぁ、質問に答えてやろう……」
無言で家の中に戻り、壁の飾棚に掛けてある長刀を手にした私は、再び外に出る。
「お・し・え・て?」
長刀の切っ先をヒワイドリの鼻先に突きつけながら、再度懇願する。
「委細漏らさずお話します」
打って変わって真摯な口調となったヒワイドリが、これまでの経緯を語り始めた。
満月の美しい夜。
一人の男が鬼子の家を目指して歩いていた。白い長髪を好き放題に伸ばしているその美男子は、
何を隠そうヒワイドリである。群れて合体すると、そういう姿になるらしい。
――いい月だ。
頭上の銀盆を見上げ、ヒワイドリ(集合体)は薄く笑う。穏やかな月光は、まるで今宵結ばれる一組の男女を祝福するかのようだ。
獣道を登り、愛する女の眠る園を視界に収める。
息を殺し、足音を忍ばせながら、ヒワイドリは鬼子の家の戸に手を掛けた。
「……ん?」
開かない。この家に鍵などと上等な物はついていないはずだから、つっかえ棒でもしたのだろう。
「可愛い奴だ」
ヒワイドリ(集合体)は両手で扉の淵を持ち、何度か揺すった。簡単に戸は外れ、内と外を隔てる壁が取り払われる。
素晴らしきかな欠陥住宅。
規則的な寝息が聞こえる。愛しの君はまだ眠りから覚めていないらしい。出迎えがないのは寂しいが、
ことを為す上では非常に都合が良い。
奥の間に忍び込み、寝具の上に身を横たえる麗しき鬼を見つける。日本鬼子。
彼女のすぐそばで片膝を突き、ヒワイドリ(集合体)はその姿に見入った。
美しい。黒髪の間から伸びた、鬼の角でさえ愛しく思う。
長い睫毛に縁取られた瞼は、ぴたりと閉ざされている。起こそうか、と瞬時考える。
やはりガチでニャンニャンするからには、愛を語り合ってからにすべきではないか?
そう、以前国道沿いの側溝に打ち捨てられていた、不健全な男女交際のハウツー本にもそう記載されていた。
乳を揉むまでの道のりは、遠く険しいのだ。
とりあえずキスで起こしてみるというのはどうだろう。程良いサプライズ。ナイスアイディア。
善は急げと、ヒワイドリ(集合体)は鬼子に顔を近づける。
が、寝息がかかるほどの距離になって、集合意識の中に組み込まれていた誰かが発狂した。結束が乱れ、姿を保てなくなる。
(ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww)
発狂した一体を含めた、ヒワイドリ全員の心の叫びだった。美男子の肉体は、無数の不細工鳥へと崩れ去り、ボタボタと鬼子の
体に落下する。
(おいwwwwwwwwwww)
(起きるってwwwwww)
(抜け駆けしようとした奴いんだろwマジで燃え散れよw)
(オワタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww)
(笑ってる場合じゃねえwwwwwwwww)
(撤収だ馬鹿ども!!!!!!!!!11)
わらわらと分離したヒワイドリ数十体と、美青年の残骸が鬼子の家を後にする。
(侵入の痕跡がありありと……)
そうだ玄関の戸を直さねばと、ヒワイドリたちは四苦八苦して元の状態に戻す。
めでたく証拠隠滅を終えたところで、反省会が始まった。
「おい誰だよ、足並み乱したやつは?」
一体が周りの仲間を見て恫喝したのを皮切りに、あちこちで口論が巻き起こる。
「お前じゃねえのか?」
「んだゴルァやんのか。そういうお前こそ犯人じゃねえのかよ」
「うぜえな。大体みんな下心持って集結してんだろ。んな不毛な――んご!」
ついに一組のヒワイドリが、殴り合いを始めた。たちまち百体近いヒワイドリたちは抗争状態に陥っていく。
「しゃらくせえ! 鬼子は最後に立ってた奴の物! これでいいか!?」
「シンプルでいい!」
「おkだゴルァ!」
「己の肉体のみを使った俺たちの死闘は長く続きました。夜が更け、東の空が明るみ、
ついに太陽が顔を出し、今に至ったんです。……俺は疲れた。もう、寝る……」
そのヒワイドリが語り終える頃には、争いも収束していた。アッパーカットで最後のライバルを倒した
最後のヒワイドリが両手を高々と掲げ、雄叫びを上げる。
「ッシャアアアアアアア!」
そしてこちらを振り返った最強のヒワイドリと、目が合ってしまった。
「鬼子! 俺だ! 結婚してくれええ!」
私はぴしゃりと戸を閉め、つっかえ棒をした。
「な! 開かねえ!? クソ! こんなボロ屋、俺の力なら!」
ぱたぱたと軽い音が、戸を通して伝わってくる。体当たりでもしているのだろう。
一匹一匹なら、ニワトリにも負けそうなくらい弱っちいくせに。
「哀れな連中……」
私は呟かずにはいられなかった。欲望によって得た力は、欲望によって滅ぶということか。
「なんでだよ!? 鬼子おおぉぉ!!!!」
静けさに満ちた朝の山に、ヒワイドリの悲痛な叫びが響き渡った。
完