鬼子と華と
般若の面を掲げ持ち 紅葉の海を舞い踊る
魂斬る薙刀携えて 真っ赤な眼が笑ってる
そーれそれ 鬼子がくるぞ
悪鬼を求めて 鬼子がくるぞ
心に鬼を飼う者たちは 地の中 火の中 隠れてる
そーれそれ 鬼子がくるぞ
餓鬼を求めて 鬼子がくるぞ
打ち捨てられた廃屋や未開そうな洞窟とはいつの世も、子供の冒険心を擽るものだ。
宝がなくったって、そこを仲間と制覇することが醍醐味なのだろう。
そう、仲間がいる場合は。
「ほら、いけよ」
ドン、と不意に背中を押され首が痛い。思わず、中村華は振り返って手の主を睨みつけるがあまり効果はないようだった。
華の後ろに立つ壁にでかい少女は不敵に笑い、さらに彼女の背後に控える他の少女たちに視線で示し合わせる。
無言でうなずく少女たちからは侮蔑の視線を投げかけられて、華はもっと瞳に力を入れて少女たちを睨み返した。
「ふん、なまいきー」
壁少女がわざとらしくそう言うと、その口から覗く歯列矯正器具がぎらぎらと光って華を威嚇した。
「…あそこの中に入ったら、もう私に構わないって約束、ちゃんと覚えてるよね?」
負けじと華が食らいつく。だが、そんな抵抗も少女たちにとっては他愛無い余興でしかないようだ。知れず、少女たちから忍び笑いが起こる。
「違うでしょー?中に入るだけだったら誰でも出来るし。ちゃんと“アレ”、とってこないと駄目だかんね」
小学校高学年にしては小柄な華を上から見下ろしながら、壁少女はいやらしく言った。
華は折れてしまいそうになる心を叱咤して、視線の暴力を続ける少女たちを一人一人睨み返してから、最初の一歩を踏み出した。
昨日降った雨で濡れている枯れ葉はまるで華の侵入を阻害しているように絡んでくる。
ここら辺に住んでいる子供なら誰でも知っている、“幽霊神社”。観音開きの入り口はすでに雨風で壊れていて、自由に出入りが可能だ。だが、室内から漂ってくる異様な雰囲気から、今だかつてその最深部まで入った子供はいないという。
最深部の扉手前には綺麗な石の欠片が落ちているらしく、それを持ち帰ってくると近所で英雄になれるのだ。
入口に立つと、室内の湿った空気が頬を撫でる。思わず震えそうになる足にしっかりと力を力を入れるため、華は腐って倒壊した扉をドスドス音を立てて乗り越えた。
ちょっとだけ背後を振り返ると、嫌味な少女たちは華の姿が見えなくなるまで絶対に視線は外さないと決めているらしい。
華の中にむくむくと反発心が蘇り、うまい具合に恐怖心を追い越してくれた。
中に完全に入ると、そこは外界と遮断されているような感覚に陥るくらい静かだった。
少し中に入っただけなのに、外の音がものすごく遠くに感じる。
華はパーカーのポケットから小さい懐中電灯を出し、スイッチを入れた。奥までは照らせないが、ないよりはマシだろう。
倒れた戸や柱で足元が危険なので、どうしても足元重視に意識がいってしまう。こうすると、一番奥の方に意識が回らず余計怖い。
華は慎重に進みながら、時折奥の方へ電灯の光を当てて心の中に湧きあがる恐怖と闘っていた。
ぽちゃん
ばっ、と顔をあげ周りに光りを巡らせるも音の在り処はわからない。頭のどこかでは、昨日の雨のこと、雨漏りの可能性を考えるのだが大部分は恐怖であふれかえって、パンクしそうだった。
ぽちゃん
心なしか、音が近づいているように感じる。
華はもう泣きだしそうだった。辛うじて、あの少女たちのことを思い描いて踏みとどまる。そう、今ひき返したら意味がない。
泣いたら、駄目だ。泣いてしまえば、逃げることしか考えられなくなる。
華の脳内はしちゃかめっちゃかだったが、元より芯の強い気質が奥へ進む最後の拠り所となっていた。
やがて、小さな懐中電灯の光りが壁を映した。
あまりの恐怖でものすごく長い距離を歩いた気がしたが、建物自体がそんなに大きくないので気のせいであろう。
華は足元を照らして目を凝らした。すると、懐中電灯の光を返してくる石が落ちている。
「これだ!」
しゃがんで拾ってみると、小さくてわかりにくいが紅い色の石の欠片のようだ。いくつも落ちているが、どれも小さすぎる。
なんとか妥協できる大きさのものがないかと探していると、背後から空気の流れを感じた。
華の肩まで伸びた髪を軽く揺らす程度だが、外から入ってくる風ではないことを華は理解する。
妙に生温かいのだ。
誰かの吐息を至近距離で吹きかけられているような、纏わりつく不快感。
そして、何とも言えない臭いが華が来た道から漂ってくる。
緊張と恐怖で息をすることすら困難だった。
これはあの子たちのイタズラ?それとも本当にただの風?いや…でもこれは…。
ぁぁ…。
何かのうめき声がした。
華は泣きそうになる口を必死で押さえて、ゆっくりと立ち上がった。周りに何者かがずりずり這いまわる音がする。“それ”は明らかに華のことを探しているようだ。懐中電灯の光には音の主は反応しない。音か匂いで探しているのだろうか。
華はなんとか“それ”から逃げることを考えた。恐怖でパニックになりそうな頭を冷静に保とうと、自分の腕を軽くつねる。
ここは神社のどん詰まり。でも入口の方へ移動すれば確実に気付かれてしまう。
そこで華は思い出した。ここの奥にはまだもう一つ奥があるのだ。まだ誰も入ったことがない扉の中。
どうにか物音立てずに中に入れれば、この危機から逃れられるかもしれない。
華はゆっくりゆっくり動いて、懐中電灯の光を前方の壁を照らした。光りを移動させていくと取っ手らしきものがあった。
そろそろと手を伸ばして、取っ手に触れてみるとひんやりと冷たいが今は意識を冷静にしてくれる。
背後のうめき声はまだ続いていた。相変わらず、華の場所を特定しようと動きまわっているようだった。
華は慎重に扉に近づいて、取っ手を持つ手に力を入れる。
ガタンッ
扉が思わぬ音を立てて開いたのだ。華は力任せに扉を押し開くと涙を流しながら中へ駆け込む。よりひんやりした空気が華を包むと同時に、背後の暗闇からすごい勢いで何かが伸び華の体を掴んだ。
“それ”は逃れようともがく華の腰から発展途上の胸の上に這いあがってきた!
「っぃ!」
息をつめた華の顔の横に、また何かが伸びくる。それは生臭い息を吐き、華の耳元で囁くのだ。
「……ぃち、乳の、話をし、しようじゃない、かぁ」
「ぃや、いやあああああああぁあぁああああっ!!!」
華の絶叫が木霊した途端、扉の奥から空気を引き裂いて何かが飛び出してきた。それは真っすぐに華の右肩辺り、“それ”がいるところを一瞬で通って行く。
「っ!」
華が一拍遅れて体を左へ捩じると、すぐ後ろで断末魔の叫びがあがった。華を掴んでいたものから力が抜けて、背後の暗闇に戻っていく。華はバランスを崩して倒れかかると、すぐに腕を引かれて誰かに支えられた。
ぽふん、と柔らかい感触に顔や肩が包まれる。それはどこか良い匂いがして温かい。恐怖で全身が小刻みに震える華を守るように何者かの腕が肩を優しく摩ってくれた。
思わず力を抜くと、より強い力で華の体を支えてくれる。朦朧とした意識の中、必然的に顔に当たる柔らかいものに押し付けられるが、気持ちいい感触なので華はそのまま身を任せることにした。
「悪しき心の化身め…!いたいけな少女を狙うとは、許せない」
頭上で凛とした声が上がった。
「この日本鬼子(ひのもとおにこ)、鬼の血を継ぐ者として貴様の魂、刈り尽くす!」
背後で薄気味悪いデュフフフフフ…という笑い声が響いたとき、華は意識を手放すことにした。
額にひんやりした感触を受けて、深い眠りから引き揚げられる。瞼を震わせるとひんやりしたものが優しく瞼の上を撫でて行った。
「ん……?」
ゆっくり目を開けると、意識を手放す前の暗闇ではなくそこは明るい世界だった。
乾いた風が吹き、近くで枯れ葉がカサカサ音を立てている。
「よかった、目が覚めたみたいじゃな」
鈴の音のような声とはこんな耳に優しい声なのだろうと、華はとっさに心に思い描く。起き上って視線を彷徨わせると、華の傍らに着物を着た女性が座っていた。
見た感じ、華よりは4、5歳上のように見える女性だ。美しい紅葉の文様が入った橙色の着物を着崩れせず、完璧に着こなしている。
腰近くまで伸びた艶やかな黒髪、その頭に掛けられた般若の面とちょこんと突き出した角のようなもの。
ぼんやりした思考の中で、昔、お婆ちゃんに教えてもらった悪しき化身を魂狩りの薙刀で刈る、清き鬼の娘の話を思い出していた。
「ど、どうした…?まさか、どこか痛むのか?」
心配そうに寄せられた眉は形良く、言葉を紡ぐたび肉感的に動く唇は紅をひいてないのに可愛らしい桜色。
華はそんな人から逸脱した美しさを持つその女性をまじまじとみて、やはり、と内心納得する。
「もしかして、あなたは…鬼子、さん?」
「!?」
控えめに窺うと、女性はびっくりした顔のまま固まってしまった。ちょっと心配になって、華は起き上りじっとその瞳を覗きこんだ。
「でも黒い目だぁ、お婆ちゃんは鬼子さんは紅い目っていってたのに」
「そ、そなたは私を知っておるのか?」
「あなたが本当に鬼子さんならね。…お婆ちゃんが教えてくれたの」
「ふむ…そなたの名とお婆様の名を聞いてよいか」
そっと、華の肩に手を置いて今度は鬼子が華の瞳を覗く。鬼子の目は黒曜石のように透き通っており、まるで宝石だと、華は思った。
「私は、中村華。お婆ちゃんは中村タミだよ」
「中村タミ!やはり、そうか」
華のくりっとした目をじっと見つめ、肩まで伸び毛先の方があちこちに跳ねた髪を優しく手で梳きながら鬼子は嬉しそうに笑う。同性の華でもときめいてしまうほど、可憐な頬笑みだ。
「タミによく似ている…。タミも生意気そうな鼻をしていたわ」
最後にツンと鼻を突かれて、華も思わず笑ってしまった。
「でも、なぜあそこにいたのじゃ?」
「…そ、それは…えっと…」
華はイジメにあっていることを言っていいか、少し迷うが、鬼子の澄んだ瞳と意識を失う前に感じたあの温もりを思い出して話すことにした。
他の大人、親や先生には一言も言ったことがなかったのだけれど、鬼子の前では素直な自分でいられる不思議な感覚に華はこそばゆさを感じた。
「そうか…今の時代も、タミも時代もかわらんのぅ」
「えっ?そうなの?」
「そうじゃ、タミと私が出会ったときもタミは村の子にいじめられていての。夜、あの神社の中に閉じ込められていたとき偶然私の封印を解いたんじゃ」
いや偶然ではないかも、と鬼子は少し遠くを見据えながら言った。昔を思い出すような、でも少し痛そうに眉間に皺を刻んでいる。
思わず、華は手を伸ばして眉間に触れた。
「華?」
「綺麗な顔なのに…」
ふっ、笑った鬼子が華の手をとって、こつんと額同士をくっつけ合った。
普段、他人にそんなことをされれば嫌な気持ちになるはずなのに、鬼子にされても全然嫌な気持ちにならない。むしろ、ずっとこうしてひっついていたいとさえ思う。
華はそっと離れていく鬼子にちょっぴり残念に思いながら、顔を離した。
「華、あの扉の封印はそう易々と解けることはない」
「?」
「この地に悪しき者共の災厄が起ころうとしているんじゃ。そして、それを振り払うためにお主が選ばれた。…タミに続き、その血族の華、とはこれも因果かもしれんの」
「え、サイヤク…って?あ、あたし、そんなことできないよっ」
「お主は私を現世に繋ぎとめておくための楔のようなものじゃ。お主は何もしないでもよいが…一つ問題がある」
真剣に言われ、華は思わず居住まいを正した。朽ちた鳥居の上に腰掛けている鬼子はどう説明しようか考えあぐねているようだった。
「先ほどの悪鬼、あれは誰を狙っていたかの?」
「さっきの気持ち悪いの?…あたし、かな」
「そうじゃ、それは偶然ではない。私は華がいなければ、この世界に存在できないのじゃ。華が死んでしまえば、私は楔を失い消えてしまう。
つまり、悪鬼どもは戦って私を消すよりも力のない華を狙ったほうが楽というわけじゃ」
「そんなぁ!」
「じゃから、私は全力で華を守ろう」
穏やかにそう宣言され、華は対応に困ってしまう。今まで誰かに邪魔者扱いされることはあっても、こんなことを言われるのは初めてだから。
華は自然と赤くなる頬を両手で隠した。
鬼子は頭上に翳した手をゆっくり翻すと、何もない空間から魂刈りの薙刀を取り出し、華の前に膝まづいた。
「この薙刀にかけて、私は華を守る。華を傷つける者は許さない」
「ぅ…うーん、そ、それじゃあなんかちょっと趣旨が違うような…?」
「良いではないか!さぁ、これから忙しくなるぞ華。いじめっ子なんか相手にしている暇はないと思え!」
「ええ!?」
小さい華の頭をくしゃくしゃとして、鬼子は華の不安を吹き飛ばすように溌剌とそう言った。
にこにことしている鬼子をみていると、なんだが心が軽くなってくる気がして、華もしれず口元が綻んでしまう。
さりげなく鬼子の意外と小さい手をぎゅっと掴んで、二人は山を下りて行った。
つ、つづ…かない…?