ID:5foSoAtP氏の無題作品
彼女は何処にでもいる。何時でもそこにいる。
何処かの地方都市、その郊外の小さな公園。近くの砂場では4-5人の子供達が砂遊びに夢中で、母親たちは他愛のない井戸端会議に花を咲かせる。
秋晴れの空は澄み渡り、秋風と共に紅葉が舞っている。そんな何処にでもある、日常の平和な風景。
歳のころは15-6だろうか、その若さとは裏腹に見事に和服を着こなす女性がいた。彼女だ。
紅葉を意匠化した、それでいて鮮血を思い出させるような紅い和服。
それもそのはず、彼女は鬼なのだ。そして鬼の身でありながら人の心に棲みつく鬼達と闘う。
彼女は自問する。
「何故?どうして私は鬼に生まれたんだろう?
優しいけれど無頓着な旦那さんに文句を言い、元気で騒々しい子供達に手を焼きながら、
公園の母親達のように集う。ささやかだけど、決して届かない夢。少し手を伸ばせば届き
そうなのに、僅かな違いなのに・・・」
彼女は自問する。
「何故?どうして私は戦うのだろう?
人々を守りたい。ただそれだけを思っていたはずなのにどうして私は・・・」
砂場で子供の声が響く。他愛のないおもちゃの取り合い。母親たちも気にしない程度の、何時もの公園の一コマ。
彼女はそんな様子を見ながらそっと右手を出し、子供たちのほうに向かって軽く指先を弾く。
その動作に合わせたように秋の風が公園に舞い込み、子供の声に気がついた母親が、我が子であろう子供を少しだけ叱った。
「お友達のお人形さんを勝手に取っては駄目でしょう。それはお空を飛ぶ鳥さんなの。砂に埋めたらモグラさんになってしまうわよ」
叱られた子供は自分の行いを恥ずかしがっているのか、ぶっきらぼうに人形を返した。顔をクシャクシャにしていた子供は、涙目になりながらニコリと頷いた。
日も赤くなり子供達の影も長くなった頃には、帰宅する人々の流れが始まる。もう少しでこの公園も閑散とするだろう。
何時もと変わらない平和で変化の無い日常。ふと気がつけば遠くでカラスが鳴いている。
「純真な子供」なんて言葉は彼女の前では空虚だ。彼女が闘う鬼達は誰の心にも棲みついている。いくら闘っても人の心から鬼を無くすことは出来ないのだ。
彼女は強い。少し泣き虫だけれども。
「こんどはあの病院に行ってみよう。ずいぶんと入院している少年のところへ」
彼女はそうつぶやくと公園を後にした。
そしてあれほど騒がしかった公園もいつもと同じ静かな夜を迎えた。
彼女は何処にでもいる。何時でもそこにいる。
どこか大きな病院、とある小児病棟のちいさな一室。開け放たれた窓からは、最盛期を迎えた紅葉の山並みが燃えるように美しく、近くのショッピングセンターでは客たちが買い物をする若者で溢れている。
そんな何処にでもある、日常の平和な風景。
微風に揺れるカーテンのそばに、燃える山並みを染め映したような和服を着た、歳若い女性が佇んでいる。随分と長く入院している少年は、ベッドから上半身を起こして、2人で窓に広がる風景を静かにながめていた。
もう回診時間だっけ―――ノックと共にドアが開いて、大きな四角い顔をしたギョロ目の医院長(ボクは鬼瓦とあだ名を付けた)が入ってきた。ボクの担当医でこの病院を支配する独裁的な奴。
殆ど人が来ない病室で、唯一ボクと気軽に話をしてくれる大好きな若い先生を、影で虐めているのをボクは知ってる。
昨夜もトイレに行った時、廊下の片隅で先生が怒られているのを見た。カルテで頭を小突きながら
「そんなことも知らなくて責任を取れるのか!?今週中に渡してあった医学書を読んでこい!」
なんて怒鳴っていた。
「あの件はどうなった?」
しどろもどろのになる先生に向かって
「第3章の第2項、150ページに書いてあるだろう?お前は読んだのか?」
また怒鳴る。誰も居ない深夜の待合所で、大好きな先生が涙ぐんでいたのをボクは知っている。
鬼瓦はギョロっとした目で睨みながら、
「今日は食事を残したな。最近、遅くまで起きているだろう?時間を守って寝ないと駄目だぞ」
いつも子供扱いをして命令口調でしか話さない。きっと病院中が鬼瓦を嫌っていて、他の先生も、看護師さんも、お手伝いさんも、みんな鬼瓦がいなくなれば良いと思っているんだ。
そんな奴が僕の担当医だって?!
少年の嘆きとは裏腹に、その病院は高い人気と、それに劣らぬ高い治療実績を誇っていた。
実力のある医師が集まり、患者に対する治療とケアで他の追従を全く許さない。少年の両親も方々に手を尽くし、最後の望みを託してこの病院に転院させたのだ。
医院長は確かに独裁的な男だった。だがその治療方針―――目的は実にシンプルだ。
『患者の為に最善の治療を施す』
その為であれば全てが二の次となり、院内の声などを聞いている余裕はなかった。
結果として自分が院内で嫌われることを理解していた。昔からの慣習や常識を、抗議の声を全て無視してきた。従わない人間や、患者を優先出来ない者は退職に追い込んだ。
―――誰にも理解されない男。
今日も深夜遅くに帰宅すると、少年の病気に関する論文を片っ端から読みあさる。何か新しい治療方法は無いのか?研究は進んでいないのか?どこかに優秀な専門医がいれば招聘することも厭わない。
彼女は少年を窓際へ促した。
少年はゆっくりとベッドから立ち上がり、そろりと歩を進めて近づく。彼女と並んで窓の外を眺めるが、風景のあらゆる事が憎らしく見える。
美しい山並みの麓を他の子供の様に駆けまわることが出来ない。自由に行けない眼下の賑やかなショッピングセンター。鬼瓦のような医院長。そんな病院に転院させた両親。そして不自由な体に生まれた自分自身。
彼女は立て掛けてあった薙刀に触れ、上から下へ軽くなぞる。
その動作に合わせるように秋の風が窓から舞い込んでカーテンが揺れ、少年は突然思い出した。
冬の雪山の静けさ、春の若葉の息吹き、真夏の命の逞しさ、そして秋の紅葉の装い。窓に広がる季節の移り変わりを、眺めるだけでも楽しかったことを。
泣いてばかりだった両親が、心の底から嬉しそうにしていたことを。
週末に短い時間だったけれど、見舞いの友達とショッピングセンターに行けたことを。
大好きな先生が他の病院の先生よりも実力が付いていたと喜んで話してくれたことを。
少しだけ元気になったかも知れない。
今夜は食事を全部平らげて、明かりが消えたら夜更かしせずに寝よう。
明日は朝一番で鬼瓦にお願いしたい事を思いついた。窓際に椅子を置いて欲しいが、それくらいなら許してくれるはずだ。
彼女が闘う鬼達は、弱った人の心に棲みついて、自分自身を焼き尽くしてしまう。この鬼を無くすことは出来ないだろう。だが彼女きっとこれからも闘い続ける。
「こんどはあの学校へ行ってみよう。これから運動会の出し物を決める教室へ」
彼女はそうつぶやくと病室のドアとそっと閉じた。
おばあちゃんは急いでいた。
只ひたすらに走る。他から見れば小走りしているとしか見えないが、一言を伝えるため彼女の元へ全力で急いでいた。
「助けておくれ!」
出会ったのは、田舎の小さな学校だった。おばあちゃんの散歩コースで、何時も座って一休みするベンチに、先日から先客さんがいるのだ。
「こんな寂しい所で、娘さんが何をなさっているね?」そんなことから会話が始まった。それから毎日出会って少しだけ会話をすることが、おばあちゃんの楽しみになっていった。
「それで娘さんは何をなさっているのかね?」
「鬼なんです。私・・・」
「鬼さんなのかね、それはまあご苦労なこってぇ」
別れ際に振り返ると小さな手を振ってくれる。
こんど自宅で、わんこそばでも振舞ってあげるかねぇ。おばあちゃんの小さな日常。
そんな日々が急速に悪化していた。
僅かな誤解が、小さな無理解が、ありえない不運が重なって、人々の憎悪が炎のように燃え広がる。まるで枯れた山肌を蹂躙するように焼き尽くす。
おばあちゃんは知っていた。同じことの繰り返しであることを。夫を失い、息子を失い、隣人を失った、あの日が目前に迫っていることに。
鬼さんは約束してくれた。
「何か困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね」
他に頼むなんて出来なかった。自分は無力だと思う。それどころか、誰にも出来ないことを、あの娘にお願いすることに心が傷んだ。彼女が解決出来る保証など何処にもないが、おばあちゃんは一つだけ確信している。
彼女は強い。
巨大な力を持っているとか、そんな次元の話ではなくて、多くの悲しみを知っているが故の強さ。
息が切れて転んだ。視界が地面まで落ちたが、そのことにしばらく気がつかなかった。少し体が痛いけれど、路端の草を掴んで立ち上がる。片足を引きずりながら急ぐが、殆ど歩いているのと変わらない。やっとベンチに座っている彼女が見えてきた。おばあちゃんの只ならぬ様子で、彼女は全てを悟って立ち上がると、その姿が全く変わっていた。
目が赤く染まり、着物の袖が乱舞する。それまでの優しい、穏やかな表情ではない。普通の人であれば恐怖の余り、気絶をしているかも知れない。
「ドン!」
轟音を残して飛び去る。おばあちゃんは、その小さくなる背中に願う。
「人の心に棲む鬼達を退治しておくれ!」
彼女は飛ぶ。
国境を目指して猛スピードで、山々をの間を抜け谷を縫いながら、後ろに白い飛行機雲を引きながら飛ぶ。1kmほど隣。同じように飛んでいる人が山陰から見えたり見えなかったり。人?違う。擬人化したヒワイドリが、彼女と平行に飛んでいた。こちらの視線に気がつくと、緊張感の無い顔で笑いかけられた。
スケベで乳の話しかしない。彼女は胸の話をされると少々困るのだ。
それでも知っている。彼が乳の話をするときは、彼女も消化しきれない、少しイライラした時。彼が乳の話をすると何故か周りも落ち着いて、一件落着することが殆どだ。
ヒワイドリが、少し体をこちらに向けて、上空を指さしている。
仰ぎ見ると、はるかに高い所に一筋の飛行機雲。多分、旅客機が飛ぶような高度だろうから、動きが遅く見えるが自分たちよりも先行して、同じ速度で飛んでるが、少し右寄りに進路を変更している。ヤイカガシ?
何時もパ○ツを狙っているとんでもないやつ。少し臭いのも気になるが、何故か離れずに付きまとう。それでもこんな時は、あの大きな目だけは、頼もしいと思う。
先導してくれるのならと、彼女も同じように進路を変更。
眼下の集落を飛び去るときに気がつく。人々から憎悪が流れだし、黒い霧のように集まり、国境へと向かっていることを。大河が一滴の水滴から始まるように、少しずつ集まって小川になり、支流となり、大河となって流れていく憎しみの濁流。
「人の心に棲む鬼達」
目を背けたい現実。彼女の頬に一筋の涙が零れたその時、背後邪悪な気配を感じて身構る。胸に手が伸びて触られた・・・いつの間にかヤイカガシがすぐ隣を飛んでおり、人差し指を立てながら追い越していく。何か言ったが聞こえない。そのまま前に。文句の一つも言ってやろうと、口を開いた次の瞬間
「ドンッ!」
強烈な爆発音と共に、辺りは真っ白になり吹き飛ばされた。地面に叩きつけられそうになったが、寸前で高度を取り戻して振り返ると、ヤイカガシが猛烈な闘いに入っていた。
彼女はその場を急速に離れて先を急ぐが、苦笑いをするしかない。
「一つ借り」