GoGo! ひのもとさん
「んしょ」と勢いをつけて葛籠から出てきた小日本(本作ではケモミミ金髪美少女)は、小梅の芳醇な香りを放つ袖を振ってくるりと回転した。めくれ上がった裾の下には子供用の襦袢しか身につけていない。
小日本は地獄絵図のように変わり果てた駅前を眺めながらくすくす笑っていた。
「源氏との戦いから八百年、日の本もずいぶんオシャレな島国になったものですよねぇ」
「小日本……」
駅前を眺めている小日本は、よく見ると体つきや見た目の年齢は鬼子さんとほとんど変わらなかった。
しかし、何かが自分とは決定的に違っていた。まだ化かされているような不安な気持ちになった。これが妖狐という種族の特性なのだろうか、彼女の一挙手一投足が不気味な存在感に満ちており、鬼子さんは封印によって生じる重力に抗いながら少しずつ後ろ退っていった。
目の前に居るのは正真正銘の大妖怪だった。鬼を相手に百戦錬磨の鬼子さんですら「これぞ妖気だ」というものを初めて見せつけられた、そんな風にさえ思われた。
「あなたが……本当の、小日本? 嘘でしょう、だって小日本は……」
鬼子さんには、かつて小日本という名の妹がいた。
鬼子さんと血が繋がっているのだから小日本ももちろん鬼の子だろう、戦乱の世に生まれたその子はやむにやまれぬ理由で一時妖狐の元に預けられており、その後鬼ヶ島に渡った鬼子さんの一族とは長い間離れ離れになってしまったのだった。
今はその妖狐の行方さえも分からなくなっている。
小日本を名乗る少女は、においたつ袖から今度は桜花を撒き散らし、桃色の花びらの渦のなかでふわりと姿を消した。
同じ事は自分でもできるのに鬼子さんは「わっ、消えた!」と子供のように驚いた。
鼻がぶつかりそうなほど目の前に小日本が現れると、鬼子さんは腰を引きずって退いた。しかし、結界の力のせいでじりじりと元の場所に押し戻されてしまう。
「わっ、わっ」
小日本は小さくかがんで鬼子さんが戻ってくるのを待っていた。鬼子さんは思わず頭を下げてしまい、額同士がぶつかってごちんと音がした。
「ご、こめんなさい・・・・・・!」
「ねぇ」
のけぞる鬼子さんを、小日本は同じ目の高さから覗きこんでいた。
「考え直してさしあげてもいいのですよぉ?」
小日本はくすくす笑った。内心この展開を待ち望んでいたかのようにわざとっぽい言い方をしている。鬼子さんは胸をはって精一杯虚勢をはった。
「ど、どういう事かしら?」
「もし、私の言うことをなんでも聞くんでしたらぁー、私たちの仲間に入れて差し上げましょー」
「なっ……」
鬼子さんは頬を真っ赤に染めた。
「仲……間?」
友達が居ないどころか遊びに誘われた事もない鬼子さんである、効果はてきめんだ! 鬼子さんの背景に大輪の花が咲き、虚勢は完全に崩れた。このさい相手が本当に小日本だとか偽者だとかそんなのはお構い無しである。
「そう! 私と日本狗はぁ、いま、共に戦う同志を募っているのぉ。チームの名前は『三大妖怪クラブ』っていうの!」
「さ、三大……!?」
鬼子さんはますます息を呑んで「なにそのクラブたのしそう!」といった風に目を輝かせた。
それがますます小日本の高飛車な心を刺激したらしい、彼女は自慢げにうんうん頷いて説明を始めた。
「日本三大妖怪の末裔が軍団を結成してぇ、安倍晴明の末裔をやっつけちゃえーっ、ていうノリの痛快なクラブなんですぅ。
幕末までは鬼族の末裔も含めてずっと三人でやってたんですけどぉ、ほら源氏は徳川家を最後に政権から退いちゃったでしょぉ、陰陽道が廃れちゃったら安倍晴明もすっかり凋落しちゃっててぇ。
鬼族の末裔は今さら戦ってもあんまりメリットがないって言って脱退しちゃったのよねぇ、ほら鬼族って妙に矜持にこだわる所があるじゃない?」
「それで二人になった今は何してるの? ただの仲良しクラブに形骸化しちゃった感じなの?」
「鈍そうな顔してズバリ言っちゃいますねぇその通り。けど、どうせならぁ、何かこう胸がすっとするような、おっきな事をやってみたいじゃない?」
小日本は立ち上がって大きく両手を広げた。いまだに分からないといった顔をしている鬼子さんを見下ろし、小さな顔に妖艶な笑みを浮かべている。焦れたようにぶんぶん両手を振った。
「ああんもう、国盗りですよぅ! 日の本を妖怪の国にするの!」
「ええっ!?」
鬼子さんは青鬼かというぐらいに本気で青ざめた。
「そんな事を、するの……? もし妖怪の国になったら、わ、いえ・・・・・・日の本に住んでいる人達は? 人間は、どうなってしまうの?」
わんこそばの心配をとっさに人間の心配にすりかえたあたり、鬼子さんはそこそこ欺瞞が使えるようだった。
しかし、小日本はその問いにはあえて答えなかった。自分たちが楽しければそれでいい、そんな事は些末な問題でしょうとでも言うように。
「鬼子さんなら、私たちの仲間に入ってくれるでしょ?」
きゅっと眉を吊り上げた鬼子さん。まるで邪気もない小日本に、鬼子さんは手を差し伸べようとした。肩を揺さぶろうとしたのかもしれない。
しかし彼女はその手をこわばらせ、ぎゅっと縮こまった。封印の力によって押し戻される前に。
恐怖が衝動にまさったのだ。本当はどう答えていいのか分からない、彼らの仲間になると何かとんでもない事になりそうな気がする。
苛められっこのようにかぶりを振るしかできない鬼子さんに、小日本の呆れた声が浴びせられた。
「ぶーう。ざーんねん。これは追試も失格ですねぇ、やっぱり、日本鬼子さんはダメダメですぅ」
小日本は鬼子さんに対して半身をむけると、両手を左右に精一杯広げた。片方の袖から桜の花びらがふわっとこぼれ、渦を巻いて上下に伸びる。弓だ、その手にはいつの間にか一メートル近い強弓が握られていた。
弦は張っておらず、常識なら矢の一本も射られそうにないその弓で、鬼子さんに狙いを定め、小日本は見えない弦をぎりりと引き絞った。見えない弦に引っ張られるように弓の両端がしなってゆく。
「そうでなくとも、あなたのような人間寄りの鬼が鬼族最大の異能をまとっているのは目障りですね、他の種族にとってみても鼻つまみ者なのですわぁ。ええ、個人的にも、やっぱり怖い。
私はあなたが怖い。その力、《酒天童子の酒杯》。回収させて頂きます!」
まるで恐れる様子も見せずに言った小日本だった。いまや面もなく、身を縛られて満足に動けない鬼子さんの何を恐れることがあるだろうか。薄い笑みを貼り付け、力を溜めたまま、しばらく不自然な間をあけていた。
「ねぇ、鬼子さん、ひとつ聞いていいかしら。あなたはどうして同族殺しをしているの? それさえなければパワーファイターの鬼族としては充分な素質をもっていらしたのに。
あなたを除け者にして炒り豆をぶつけてくるような人間たちが、どうしてそんなに好きになれるのですかぁ?」
今にも泣きそうになっていた鬼子さんは、不意に何かのスウィッチが入ったかのように落ち着きはらった。
「お友達にもならないうちに、そんな秘密は言えませんわ」
鬼子さんは小日本をじっと見つめて、そっと囁いた。
「それに、同族殺しをしているのは、貴女も同じでしょう?」
冷えた表情を浮かべていた小日本は、ようやく心から笑った。
「そうね、これで私も同族殺し。お揃いですねー、鬼子さんと」
ようやく意を決したという風に、勢いよく弓を引き絞った。
見えない弦が激しく振動する音が、目に見えるほどくっきりとした波紋を空気中に描いた。
ただの空気の振動ではない、退魔の魔力を秘めたその波紋に触れただけで、鬼子さんの肌がびりびりと痺れ、地に落ちていた般若の面がパンと音を立ててひっくり返った。
前かがみになってこらえようとすると、頭が、特に角の根元あたりが折れそうなほど痛い。
(わんこそば、わんこそば、わんこそば、わんこそば・・・・・・)
鬼子さんは痛みを忘れる呪文を唱える事に没頭した。しかし、意識を保つのが難しくなってくる。そろそろ本格的に死を覚悟しなくてはならなかった。結局、友達は一人も出来なかった。
遠い昔に交わした約束とか、うれしかった事とか、人間とか、そういったものを思い出そうとするのだけれど、頭はずしりと重く、文鎮のように上のほうにあって、体の方に何が浮かんでも頭まで到達してくれない。
「ねぇ、鬼子さん……」
小日本が歌うように言った。
「おねーちゃんって呼んでいい?」
鬼子さんは途方にくれた目で小日本を見つめ返した。
弦を持つ方の手から、ノイズのようにかき乱された波紋が放たれ、ガス風船が膨らむように急速に広がった。
びぃぃぃん
この振音は弦のものだ。響きに圧倒され、鬼子さんは見えない矢で胸を射抜かれたかのように飛び退いた。
弾かれた般若の面が、再びくるくると宙を舞った。くるくる、くるくると。
着物の袖からも懐からも大量の紅葉が散り、倒れる鬼子さんを優しく受け止めた。
小日本の手の中で、身の丈ほどもあった強弓は、いつの間にか大振りな桜の枝になっていた。大きな狐目は、矢を放つ瞬間までまったく揺るがなかった。
小枝を折って、花弁で唇をなぞり、その柔らかさを確かめていた。
「狩り帰り もみじ拾いつ 歩く人 いづくの人の 御手に似るめり……バイバイ、おねーちゃん」
ヒワイなるヤイカガシ(注:ヒワイドリとヤイカガシの融合体)は、日本狗との熱戦の最中に手を休めた。
眼下では小日本(本作では金髪獣耳美少女)の操る矢を使わない弓術によって、鬼子が紅葉の中に倒れていた。
「しまった、あれは鬼退治の神器『追難大弓』だ! ヒワイ!」
身体の大部分を占めているヤイカガシが呼びかけると、主に翼の大部分を占めているヒワイドリが激しくはばたいた。
(うおおっ! しまった鬼子ぉぉぉっ!)
「落ちつけヒワイドリ! いまは落ちついてじっくりパンツ(パンツを穿く方向に飛べ)だ!」
(落ち着いてパンツなんか見ていられるか! まずはおっぱいを助けて人口哺乳だろっ!)
「取り乱すのは分かるが落ち着けそれを言うならパンストはぁはぁ呼吸だ!」
(俺にものを言うときは先ずおっぱいに例えろ! おっぱいに言葉はいらない、感じるんだ! ちくしょう来るぞ!)
ヒワイなるヤイカガシは意識の水面下で仲たがいをはじめ、混乱状態にあった。
すでに日本狗(本作では大型二足歩行犬)の接近を感知していたヤイカガシはヒイラギの剣を振るったが、その剣筋は目に見えて鈍っていた。
その隙を日本狗は決して見逃さなかった。
「いまだ! 異武鬼(コトブキ)十二将《申鬼》機動之術《大返し・レベルテング》!」
かつて戦国の世に名をとどろかせていた第六天魔王の片腕、時空太閤が得意としていた時空間を超越した術が発動する。
ヒイラギの剣を前にかざした直後、ヒワイなるヤイカガシは日本狗の姿を見失った。
気がつけば全身が爆風に晒されており、左右上下に幾筋もの飛行機雲がたなびいている。
瞬時に背後へと移動していた日本狗の攻撃を、ヒワイなるヤイカガシはまったく防ぐ事ができなかった。
振り上げられたハリセンを、ただ見上げるしかない。
「残念だったな華麗なるヤイカガシ! また私の勝ちだ!」
(だから間違えんな狗ーっ!)
「倒してみろ、私は何度でもよみがえる! 言ったはずだ、冬は『柊の季節(ワタシのシーズン)』だとっ!」
(まてお前の台詞じゃない俺の存在を上書きするなぁーっ)
ぱしーんという上空に響く快い音に見向きもせず、小日本は鬼子を見下ろしていた。
ちょうど同い年の女の子が、眠ったように横たわっている。
その顔に達成感も喜びも何一つ浮かんではいなかった、ただ沈痛な顔をしている。
そのとき、小日本はキツネ耳を震わせた。背後に何者かの気配を察知したようだった。
小日本が険な眼差しを向けた先には不気味なネコがいた。
般若の面をかぶり、牙のならんだ口をがたがたと震わせている。面が面だけにその仕草はいちいち怒っているように見える。
「おやおや、狐が感傷に浸るなんてらしくないね、おチビちゃん」
「誰ですか? 怖いのでその格好で話さないでくれます?」
ネコはやがて紙のようにくるくると丸まってしまうと、長い手足を伸ばして、そのままギブソンのギターを背負った女の子の姿へと入れ替わった。
真っ黒い女子高生の制服に茶髪、顔には真面目そうなメガネをかけているが、年齢的にはすでに女子高生を超越していることは確かだ。大学生であるかどうかも危うい。
その証拠はたるみ気味の胸のサイズにも、全てを見透かした感のある不敵な笑みにも現れている。周囲の異様な空気をはね返すようにでんと構えていて、むしろこの空気に馴染んでいるような風情さえあった。
「私は通りすがりの猫又だよ。やれやれ、ヒワイもヤイカも犬っころ相手に苦戦するとはな。こんな時にあいつらは役に立たないね」
「だから、なんですのあなた? あれは犬っころじゃありません、くぅたんですよ。猫又さん、あなた低級妖怪のくせにちょっと偉そうですよ?」
小日本の眉が不愉快そうなラインを描いて頬も膨らんだ、女子高生姿の猫又は意に介さない様子で、二本に枝分かれした尻尾をふらふら振っていた。
「あらあら、手のひらサイズのくせに生意気なおチビちゃんだな。すっげぇ萌えるんですけど?」
なにが手のひらサイズなのか? と問いたげな顔の小日本だったが、急にとてつもない怖気を感じたように身震いし、思わず自分の胸をかばった。
「な、なに……これは、この、全身にまとわりつくような邪悪な気配は……!?」
猫又はメガネをぎらりと光らせ、声高に言った。
「ふふっ、かかったね。これは私が生まれもって授かった『瞳術』……」
「ど、瞳術!?」
「そう……二千年に渡って蓄積された私の寝込み友人帳によって相手を男しか存在できない世界に閉じ込め、
一分間に約五千時間もの長さにわたって男性化・掛け算を繰り返させられてしまうのだよ主に脳内で」
「か、掛け算!? 男性化!? なにそれ!? やめて、そんな目で私を見つめないで! いやぁぁーっ! 低級妖怪のくせにぃぃーっ!」
「にゃっはっはっはー!」
小日本が嫌悪感に苛まれると、般ニャーは尻尾をぷるぷる回してますます楽しそうだった。
「般ニャー!」
不毛なやりとりを繰り広げている二人に、日本狗が空から野太い声を響かせた。
縦にざっくり割れたアパートの残骸からひょっこり姿をあらわした日本狗の、その足元には白い羽毛と鰯の干物が散らばっている。
「どさくさに妙な暗示をかけるな! お前は分かっているのだろう、一体この気配はなんなのだ!」
般ニャーは暢気な表情を一転させ、厳しい目で融合の解けたヒワイドリとヤイカガシを見やった。どちらも既に戦闘不能のようすだ。
「あーあ、やっちゃったね、お前。言っとくけど、鬼子の中の鬼を抑える方法は、そいつらしか知らないよ?」
日本狗は口元を醜く歪めた。不可解な事を言われたようにくびをかしげている。
「鬼の中に住まう鬼、だと? そんなものが存在するのか」
「いると思うよ? 《酒杯》ってのはもともと心の奥底に眠る鬼を呼び覚ます怪器だからね。
鬼子が童子から《酒杯》を受け継いでいるって事は、当然そいつの中の鬼も受け継いでいるはずさ」
「そ、そ、そんなの平気だもん! かかってきなさいよー!」
先ほどの弓をすでに構えて、小日本は虚勢をはった。
だが、言葉とは裏腹にすっかり怯えきった様子で足を震わせ、耳などぺったり頭にはりついていた。
「狐だけあって、妖気に敏感みたいだね、おチビちゃん。けど鬼子の中の鬼は、そんな生半可な武器では退治できないよ。
どんな鬼かは私にも想像つかないけどさ、そんなちっぽけな神器が通用する相手じゃないはずだ。
なにしろ神代の怪物の血を引いている子だからね、鬼子は」
「ずいぶん遠まわしに言うものだな」日本狗は不愉快そうだ。「もう調べはついているのだろう、はっきり言ったらどうだ。鬼子の中の鬼とは……」
そのとき、生ぬるい風が生まれ、鬼子さんを中心にして紅葉が渦を巻いた。
小日本が足元に飛んできた紅葉から遠ざかった。
「き、きゃあーっ! なにこの虫っ! 顔に、顔に足が生えているぅ!」
妖気に長じた狐の目には一体なにが映っているのか、傍目にも愉快そうなものではなかった。
「くうたん、逃げましょう、なんか、ヤバいですぅ!」
「動じるな、相手はまだ私の封印の中だっ。『オーダー!』」
日本狗の発声とともに、鬼子さんの上空にあった光の紋章がひときわ強く光った。
だが、ほとんど同時に鬼子さんの右腕がびくりと動き、がばっと身を起こした。その上半身は、少しずつ、少しずつ地に押し戻されていく。そして元のように寝そべると、まるで二度寝を決め込んだかのようにごろんと寝転がった。
「ひゃっひゃっひゃ、そうそう、しっかり抑えときなー。あの鬼が目覚めたら日の本がマジで危ういからねー」
「たわけた事を、この国などどうでもいい! あんな怪物を解放してたまるか! 小日本、手伝え!」
しかし、小日本は弓を抱えたまま一歩も動かない。ぺたりと座り込んで泣きそうになっていた。
「ふぇぇーっ、怖いよぉ、くぅたん何とかしてぇーっ」
「どうしたんだ小日本っ!」
「無駄だよ、どうやら心の鬼『任せっ鬼狸(きり)』に支配されているようだ……なんだかこのへんの邪鬼が活性化してきているみたいだねぇ、あれなんかもその影響かな?」
般ニャーの指差す先には、それまで置物のようにうずくまっていたガンダムが立っていた。
ボロボロ破片をこぼしつつ、ぎしぎしと軋みながら動いていた。半身の大破した体が舞い上がる火の粉にさらされている。
「ば、バカな……。あの人形にかけた術はすでに解いてあるはず……どうやって動いているというのだ!」
「心の鬼が操っているんだね」
「心の鬼にそんな事が出来るというのか?」
「私に聞くなよ、けど、たぶんそのくらいはできるんだろ」
『ふざけるな、ふざけるな……』
ただぶつぶつと文句を繰り返しているだけのガンダムだったが、次の挙動に誰しも息をのんだ。
『僕がガンダムを一番うまく使えるんだぁ!』
意味の通らない発言と共に力任せにビームサーベルを振り下ろした。
「あ」
「あ」
その先端は上空に浮かんだ五芒星を貫いていた。見る間に空に亀裂が走り、世界が崩壊した。
閃光。
とてつもない爆発によってビル群が次々と薙ぎ倒され、ガンダムはおもちゃのようにばらばらに吹き飛んだ。
小日本は桜の木に捕まって吹き飛ばされるのをどうにかこらえていた。
「にあああっ! くうたん、なんとかしなさいーっ」
同じく爆発をこらえていた日本狗は片膝をつきながら、苦しげに呟いた。
「くそっ、今日は、なんだかだるいや、明日から本鬼だす」
「何を言っているのーっ」
桜の木から飛び出した小日本は、日本狗の両肩を掴んで、熱くなった鼻面に額をぐりぐり押しつけた。
「しっかりしなさい、くうたんっ、やる気出して! 今くうたんが倒れたら、日の本を乗っ取る計画はめちゃくちゃですぅーっ!」
がくがく揺すぶっても日本狗はまるで上の空だ。どうやら完全に心の鬼に支配されているらしい。
ようやくその事を悟った小日本は、うぅ、と唇を結んで振り返った。
彼女の目に映る元駅前は、もはや更地のように荒廃していた。駅前のガンダムはおろか駅すら存在しない。
空に封印はなく、清廉な星空ばかりが広がっている。ただの空虚な空間の底で、紅葉だけがカサカサと音を立てている。
「うう……これは、これはまずいですぅ」
二〇一〇年とある冬の日。宇宙の中心のような大きな満月に照らされながら、日本鬼子さんはむくりと身を起こした。
神器の一撃を食らって倒れていた鬼子さんは、周囲の不気味な気配に誘われるように目覚めた。
袖や懐からは紅葉が後から後からとめどなく散っており、膝元を静かに埋め尽くしていく。気ままに風に舞っていたそれらはやがて連携して有機的な動きをはじめ、幾つもの真っ赤な人影に転じた。
いずれの影も人のものではない。かろうじて人に似ていても角や翼を持っていた。
鬼子さんは火のように躍るそれらの形をひとつひとつ見回していた、それらは鬼子さんのよく知っている「心の鬼」たちの姿だった。しかし、それらが鬼子さんに襲い掛かってくる様子はない。
さらに紅葉は深紅の敷物になり、鬼子さんの座する場所に広げられた。続いて五段の重箱、茶釜に柄杓、茶筅に湯のみ、敷物の隅っこには番傘が開き、月の影をゆらゆらと落としている。
鬼子さんがぼんやりと座り込んでいる間に、またたくまに茶会が催されそうな雰囲気になってしまった。
そんなおり、不意に満月の中に丸い影が生まれ、鬼子さんの隣に大きな器となって落ちてきた。
落ちたというより、目に見えない誰かがそこに置いたような穏やかな落ち方である。
鬼子さんは、そこに気配だけ存在する見えない巨人を見上げていた。
「酒呑……童子……さま……」
鬼子さんの前に供えられたのは日本三大怪器のひとつ《人喰い鬼の酒杯》である。
縁はひと抱えほどの広さがあるのに対し、極端に底が浅い器だった。まさに鬼の杯のようなつくりをしている。
「わたくしに……飲めとおっしゃるの……」
そこに何者かがいるとしても、酒呑童子であるはずはない、彼はすでに源氏によって討たれているのだ。
――早よう召せ
それは鬼子さんの心の闇が生んだ幻聴だったかもしれない。
――退魔の傷も癒えよう
鬼子さんは、満月から落ちてきた朱塗りの杯をじいっと見下ろした。
誰か見てはいないかと不安になって、ついあたりを伺ってしまう。心の鬼が深紅の壁となって鬼子さんを取り囲み、外からはよく見えなくなっている。それ以前にそこはほぼ無人の焦土である。
「あの、わたくしまだ未成年……いえ、齢の方ではなくて、いまの体のつくりが、という意味ですけど……」
もごもごする鬼子さん。法律がどうこうという訳ではなく、単に飲むとすぐに酔ってしまうから格好が悪いだけなのだが。
――どうした、酒も飲めぬとはそれでも我が娘か、日本鬼子。そのままではいずれ朽ちてしまうぞ
鬼子さんは渋い顔をして杯に向かった。
重たい杯を抱え上げてみたが、中身は空だ。ただ酒の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
鬼子さんは杯の底にうつった自分の顔を見ながら、何度も飲むのを躊躇っていた。
死にたくない、飲んでみたい、という欲求が杯を持ち上げ、しかし、指先にのしかかる杯の質量で後退する。
「酒呑童子さま……いえ、あなたは……あなたは、本当に酒呑童子さまですの?」
鬼子さんはある瞬間、ふと我にかえった。
彼女をそそのかしているのは、ひょっとすると心の鬼かもしれなかった。
彼女の封印を解いたのも心の鬼、遠くのほうで日本狗や小日本を動けなくしているのも、おそらく彼女の周りにいる心の鬼たちの仕業だろう。
彼らの目的は一体なんなのだろうか。まるで鬼たちがひとつの意志を持って、鬼子さんの中の鬼を解放しようとしているかのようだった。
鬼子には透明な巨人の透明な笑い声が聞こえる。
――頼むよ、鬼子
いきなり名前で呼ばれて、かあっと顔が赤くなる。
「いえ……でも……」
彼女の心は重さを決めかねた量りのように揺れはじめた。そして般若の面を持たない鬼子さんの心を揺さぶるのはじつに簡単なことだった。
――鬼子の心の鬼が見てみたいな
「い、いきます、飲みます、見ててください! ていっ」
杯の縁に口をつけ、大きく傾ける。
鬼子さんは空気を吸い込んでいく。エア飲酒である。大きく空を仰いだ姿勢のまま硬直し、やがてぐてんと仰向けに寝転がった。
杯がからんと脇に転がって、鬼子さんは忘年会の帰り道の酔っ払いのように頬を染めている。
「はふ……ね、ねぇ、酒呑童子さま……」
朦朧とした意識の中で、鬼子さんはもう一度巨人の方を見た。
「わ、わたくし、じつは……その、あなたの事が……あなたの……」
酒の力を借りた鬼子さんは、再び酒呑童子に挑戦しようとしていた。
しかし、そこにいたのは酒呑童子ではなかった。牛である。
「そうではなくて、そのですね、友達からはハートフル軍曹と言われていまして…………あれ?」
鬼子さんは首をひねった。彼女が話していたのは金棒を携えた、屈強な牛頭鬼の石像である。
石像は二体あり、阿行、吽行のように大きな門の左右を守っていた。
門。高さ10メートルは下るまいという、巨大な門がそこにあった。
地獄の門と呼ばれるにふさわしい不気味な門扉が、とつぜんこちら側に開かれた。
ゆっくり、ゆっくりと。完全に開く頃には日が昇るのではないかという重々しさだった。
隙間から向こう側が見えたのはほんの一瞬だった、鬼子さんは箱からつまみ出されたティッシュのように勢いよく吸い込まれてしまった。
息をひそめて様子をうかがっていた心の鬼たちは、ぶわっと紅葉を投げ散らし、大歓声をあげた。
「なんなの……これは、一体……!」
乱れ飛ぶ紅葉の向こうの巨大な門を、小日本は凝視した。
「東北の門……《鬼門》!? まさか、異界と現世にこんなに大きな門を開けてしまうなんて……!」
鬼族は異界と現世をつなぐ門番である、その最たるものとして閻魔大王が知られている。知られざる鬼族の秘術に小日本はただ言葉を失ってしまう。
それ以前に異様だったのは紅葉の鬼たちである。彼らは長年にわたって門の解放を待ち望んでいたかのように、ますます狂喜して踊り狂っていた。
小日本はただ見守るしかなかった。日本鬼子の中の鬼の、復活を。
門扉の隙間から顔をのぞかせたのは、どす黒い竜だった。それも一匹や二匹ではない、数百匹もの竜の群れである。
鬼灯(ほおずき)のような赤い目、背にはかんざしのような黄金の柱が突き刺さり、ただれた腹からは血がだらだらと垂れている。
それらの竜は胴体の一カ所でつながっていて、数百匹で一匹の竜を構成しているようだった。
あたかも神代の怪物、ヤマタノオロチの姿に酷似していた。
そして門の奥にある胴体とおぼしき場所から光が放たれている。
小日本は金縛りにあったように動けなかった。いや、まさに不動明王の金縛りの力を持った、神通力の眼光だったのだ。
それは竜たちより何十倍も巨大な生き物の目から発せられていた。
鬼たちの興奮は最高潮に達し、やがて地獄の門が強引に蹴破られた。
中から長い裾をひきずり、高さ10メートルもの門から登場したそれは、門に見合うだけの背丈を持ちあわせていた。
頭部には黒い竜たちがひしめき合い、髪の毛のようにうじゃうじゃとうねっている、その間に黄金のかんざしが乱雑に飾られていた。
顔形は鬼子さんを一回り大人にした感じがあり、二十歳前後だ。眼光は鋭く、瞳は見る者を屈服させる、太陽のような金色に満ちている。
真っ赤な着物の上から黄金色の羽織りを重ね、右肩をはだけて袈裟懸けにし、白い首筋とサラシを露わにし、手には禍々しいつくりの薙刀を握りしめていた。
鬼子の中の鬼子、本成日本鬼子。
ヤマタノオロチの頭髪、明王の眼、まさに鬼神そのものの出で立ちである。恐怖しか与えないおぞましいもののはずが、同時にそれは圧倒的に美しかった。小日本はもはや気圧されているしかなかった。
本成日本鬼子がゴミを見るような視線をくれてやると、心の鬼たちは歓喜雀躍し、救いを求める民衆のように両手を上げて喜んだ。
ちっ、と苦々しげに舌打ちし、乱暴に薙刀をふるった鬼子さん。箒で払ったように一振りで眼下の鬼たちをなぎ払った。
「うぜぇぞ鬼ども! 勝手に私の復活を待ち望んでんじゃねぇっ!」
その恫喝に地面が震えた。鼻血を吹いて失神する者が若干名、感涙にむせぶ者が若干名いた。
散らされても、蹴飛ばされても、それでもなお心の鬼たちは寄りすがり、熱狂する。完全に本成日本鬼子に心酔していた。
小日本は思った。ああ、こいつらは、ただのファンなんだと。
「おい、そこの狐面」
本成日本鬼子が指さすと、心の鬼たちは一斉に道をあけた。ずざっと遠のいた鬼たちの壁の間で、ひとり取り残された小日本はかたかた震えていた。
「な、なにかしら、鬼子さん……」
「国盗りの仲間を探していると、そう言ったな?」
「は、はひ……」
すると本成日本鬼子は黙ってうつむいた。なぜかその表情は憤怒に満ちている。
何を怒っているのか分からない、うつむきたいのは小日本のほうだ。
やがて鬼子さんは、うじゃうじゃうごめく黒竜の間から、上目遣いになって言った。
「私じゃ、ダメか?」
「ひぇぇっ!?」
本成日本鬼子は目にちょっぴり涙が浮かんでいた。
「ダメか? 恐いのか? 私はちょっと胸が生意気だから仲間はずれにするのか?」
「こ、こ、こ、恐い、いいいいえ、確かに、けど恐いとか、そういうのではないのです!」
小日本は尻尾をびんと立てて弁解した。
「わ、私とあなたでは、つ、釣り合わないと思うのですぅ!」
鬼子さんはどうしてかわからないといった風に首を傾げていた。小日本のほうもすでにいっぱいいっぱいだ。
「わ、私は、くぅたんはどうか知らないけど、私は、ただ、せ、先代玉藻の前から力の一部と怪器を授かっただけ……
だから、ほんものの酒呑童子はおろか、その神祖にまで遡るあなたが、三大妖怪クラブなんてマイナーな会に入るなんて、釣り合いません。ダメです、ご自分を卑しめるような事は、してはいけませんわ……」
顔を真っ赤にして、わてわてと袖を振って桃の香りを振りまいていた。もはや自分でも何を言っているのかわからない。
「大丈夫、守ってあげる」
本成日本鬼子は、何でもない事のように言った。
「生成の時の私は頼りないけど、その代わり、今の姿の時は、私がみんなを守る。だから、みんなで日の本を盗りましょう。頭のオロチに誓って、あなた達を傷つけさせはしない」
意味はないのに無駄に頼もしい台詞だった。小日本はますます答えに窮して途方にくれていた。
前回のあらすじ――本成日本鬼子さん(こんなんどない?)復活。
一方その頃、一世代前のパソコンで埋め尽くされた部屋の巨大モニタに本成日本鬼子さんと小日本、進撃の巨人のような体格比の二人の姿が映し出されていた。
地下にしては広すぎる、地上にしては暗すぎる謎の部屋にいるのは二人組みの男。そのうち片眼鏡の男がくつくつと声を立てていた。40がらみの顔を臆面もなくにやつかせ、本成日本鬼子が出現してからずっと笑いが止まらない様子だ。
「ふ、ふふふ、くはははは! あっはっはっはっは! 見ろ、まるで乳が岩のようだ!」
男は本成日本鬼子の乳を指さして言った。
隣には緑髪の青年がおり、こちらもちょんまげを揺らして笑いを堪えている様子だった。
「ふっ、愚かな……そんな事よりもご覧なさい、あの柔らかそうな太ももを!」
青年の目は着物の裾からのぞく日本鬼子の太ももに釘づけだった。
「あの絶妙なライン、まるで職人技の賜物です。見えそうで見えないチラリズムこそ至高の芸術!」
「ふっ、こんな所で喧嘩はよそうモモサワ君。巨乳原理主義的に言えば巨乳と太ももはベストパートナー、決して相容れぬ仲ではない……」
「そうですね。その点で私は巨乳原理主義には一目を置いているのですから……ぬっ!? しゃ、しゃがんだ!」
「おおっ! これはいい! 子供を叱るお姉さんぽい表情ナイス!」
二人の怪しい人影は、姿勢を低くして画面の見えない角度まで覗こうとしていた。
「ふふふ、しかし、とうとう日本鬼子が本成になってしまいましたか。『あのお方』はここからどう決着をつけるつもりかな……」
「くくく、それは計画のすべてを知っている『あのお方』に委ねるしかないだろうね……封印された状態での討伐に失敗したいま、『あのお方』を除いてはいかような手段が残されているのか知る者は……はっ、腕組みしてむぎゅうとなっているっ!」
「ああっ岩の影に……カメラもう少し右に寄れ!」
「駄目だモモサワくん、これは衛星カメラだ!」
「ならば地球よ傾け!」
「君一人の力では足りない、みんなで祈るんだ!」
怪しげな二人が騒いでる一方、映像の中の本成日本鬼子は小日本に仲間入りをせがんでいるのだが、小日本はますます答に窮して肩をすぼめてばかりであった。
「じゃあ時給百円でいい?」
「安い! 子供のお遣いなの! というかいつの間に私が給料を貰う話になっちゃったの!?」
「時給百円で友達になってくれない?」
「ダメです鬼子さんいくら寂しくったってそこまで堕ちちゃだめですぅ友情をお金で買っちゃだめですぅ!」
「やっぱり……ひぐっ、私じゃダメなんだぁ……」
「あうぅ、それは、それはぁ――くぅたぁん! ひとりにしないでくぅたん! ていうか般ニャーいつの間に消えたの!? 皆どこへいっちゃったのぉ!?」
助けを求める小日本の声が、見渡す限り瓦礫と化した大地に響き渡った。
その時――どこからか空気を震わせるような野太い声が響いてきた。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク! 『オォぉ〜ドゥァぁ〜! 陰陽道風本格派結界、呪詛符縛りいぃ〜』!」
まるで声に呼応するかのように、小鳥の軍勢がいくつも集合したような群れを成して呪符が飛んできた。
本成日本鬼子さんはぶんっと残像を残して右に百メートルほど移動していたが、呪符は向きをかえて迷うことなく飛びかかってゆく。
「燃え散れ……!」
薙刀を振り払い、業火の柱で呪符を一枚残らず焼いた。だが、それらは燃え尽きる事なく炎をくぐってくる。
その時点で鬼子さんはもう諦めるような表情になっていた。
「やれやれ《呪詛符》かい。こいつは参ったね」
呪符が鬼子さんの竜の髪の毛や体に貼りつき、血で書かれたような文言が怪しげな光を放った。
先ほどまで気ままにうごめいていた頭髪の竜が痺れたように動かなくなった。動きの自由を奪われたらしい、鬼子さんも両手をだらりと下げ、じっと前方を見据えていた。
その視線の先に、くるくると回転しながら飛んでくるけむくじゃらの姿があった。
鬼子さんの頭髪の竜が一匹、長い首をもたげ、けむくじゃらはその頭に着地した。
「お前は誰だ? 大天狗じゃあないね」
日本狗は正面にかぶった天狗の面を掴み、自ら剥ぎ取った。面を取った途端、獣の姿からすらりとしたスーツ姿の青年の姿に入れ変わった。
銀髪に意志の強そうな澄んだ瞳、その姿は意外なほどの美青年である。
「ふふふ、そちらがご存知ないのも無理はない、はじめまして日本鬼子さん。私は安倍晴明の末裔です」
頭髪の竜が本成日本鬼子の体を這い、美しい体のラインを締め上げた。
日本鬼子さんが苦痛に顔を歪め、周囲の鬼たちの歓声が大気を震わせる。
「最初から私の討伐が目的だったね。天狗の振りまでしてあの子を引き入れて、あの陰陽師の考えそうな事だ」
「ちょうど親戚に妖狐がいましてね、まったくラッキーでしたよ」
日本狗が指をパチンと鳴らした。日本鬼子さんの頭髪の竜が足元の小日本に向かって伸びていった。
「く、くぅたん……?」
小日本は日本狗が消えたかのように力なく尋ねた。目の前に迫った竜の鼻息に髪が浮かび上がった。
「……くぅたん、なの……?」
小日本は真っ青になって唇をわななかせていた。
本成日本鬼子は無駄にあがこうとせずに、目の前の豆粒のような人間にただ縛られるままになっていた。
「私を討伐して、いったい何が望みだ」
「スサノオは酒を飲ませてヤマタノオロチを退治したでしょう。源頼光は酒を飲ませてその息子である酒呑童子を退治した。
私もあなたの存在を知ったとき、やはり酒を飲ませてあなたを退治するのが筋かな、と思いまして」
「食えん奴だな、陰陽師とはみなそういう下種な男ばかりなのか?」
「それはたぶん的を射ていますね。しかし、もっといい方法があるのですよ。今の時代に則した方法が」
日本狗は皮肉をまったく意に介さない。それどころか、ますます鬼子の事を気に入ったかのような様子であった。
「あなたに協力者になって欲しいんですよ、いえ、それ以上の……仲間にね」
本成日本鬼子の眉がぴくりと動いた。
「仲……間……だと?」
本成になっても相変わらず仲間という言葉には弱いようだ。
「さっき小日本が言ったでしょう、ああ、天狗の耳はよく聞こえましてね。我々の目的は妖怪の国を作る事だと」
「それはお前が吹き込んだ方便だろう?」
「いえこれは私の本心です」
鬼子さんは日本狗の本心がどうも見えないといった目つきを投げかけた。
「協力は惜しみません、まずはそれを成し遂げてくださいませんか」
「正気とは思えんな、お前は人間ではなかったのか」
「いたって正常ですよ、妖狐から生まれた者が人間かどうかはともかくね。ここが妖怪の国になっても人間が全滅することはありません。そこまでするメリットが妖怪側にないですから。
しかし妖怪がはびこるこの国で、人と妖の間を取り持つ陰陽師の需要が高まるのは目に見えています」
「……」
「妖怪と人間が共存していた中世のような世界を再現したい。妖怪がただの恐怖の対象ではなかった時代。四季の変化や生命の営み、目に見えぬあらゆるものが妖怪であった時代。
そのような時代を再び生み出し、そこで陰陽師として活躍したい、それが私の願いです。
その為に鬼族を率いるあなたに協力をしていただきたいのです。どうです日本鬼子さん、私の仲間になりませんか?」
目的というより野望を語る日本狗の笑みは、それが笑みであると言われなければ分からないほどに歪んでいた。
鬼子さんが足元に目を向けると、小日本は自分を丸呑みできる大きさの竜に睨まれて動けないようだった。
本成日本鬼子は視線を日本狗に戻して言った。
「断る」
日本狗は杓を投げ捨てて憤慨した。
「なぜだーっ! 俺は妖怪の国を造ろうって言ってるんだぜ! 鬼もハッピー陰陽師もハッピー! ハッピーバースデー新しい世界だ、そうだろお前たちもハッピーだろぉぉ!」
しかし、心の鬼たちは動こうとしない。さっきからずっと彼に敵視を向けている。日本狗は戸惑いながらその視線を受け止めていた。
「お前は中世がどんな時代だったかを知らないんだね」本成日本鬼子は言った。「時代が移り変わって得るものもあったし、失うものもあった、妖怪にとってもそれは同じだよ。お前の提案は粋じゃなかったのさ」
「なっ……」
日本狗は一瞬絶句し、ぎりりと歯を食いしばった。
「粋じゃない……無粋……無様……やられやく……三下の悪党……だと……おのれその言葉、後悔しても知らんぞっ!」
前回のあらすじ――日本狗→安倍晴明
「きゃああっ!」
聞こえてきた小日本の悲鳴に鬼子さんはピクリと眉を動かした。足元に視線を落とすと、竜の一匹が口から泡を吹きながら小日本ににじり寄っている。角には札が貼りついてまやかしの気配を漂わせていた、鬼子さん同様に体の自由がきかないようだ。
「くくく……何を動揺しているのですか?」
鬼子さんは目の前の男に視線を戻し、その邪悪な笑みを睨みつけた。
「そんなに怖い目をしないでくださいよ、勘違いしているなら言っておきますけど、あの子はあなたと血の繋がった妹じゃありませんよ?」
鬼子さんは目を伏せた。着物の柄は今は混沌とした渦を巻き、激しい紫電をほとばしらせている。
「お前には分かるまい」
「いいえ分かりますよ。だいたい彼女はあなたの命を狙っている敵ですよ。あなたの命なんかこれっぽっちも顧みない。隙さえあればいつでも弓の一撃をくれます、どうしてそんなにあの小鬼が気になるのですか」
日本狗はそこで言葉に詰まった。顔をあげた鬼子さんの目から大きな滴が流れていた。
「お前には分かるまい」
しばし固まっていた日本狗はふっと笑って、それをきっかけに再び話し出した。
「いいえ分かりますとも、分かるんですよ、私には。そうでなければ、あの子を仲間にした意味がないでしょう?」
どこからか降ってきた扇が、日本狗の手に再び握られた。
扇を前にかざして、日本狗は清らかな声で言った。
「私がこの扇を閉じた瞬間、札の貼られた竜が暴走を開始します。
妖怪退治の七仙《忘音坊》の秘伝『蝕』。
この術に捕らわれた妖怪はあらゆる物を喰らいはじめ、最後には自らの仲間を喰って自滅してゆく」
「なるほど触手プレイか」
「身も蓋もない言い方をしないでください、もっと別な感想とかないんですか」
「陰湿な技だ、それがどうした」
「意思確認はこれで最後という事です、なにか言い残した事はありますか?」
鬼子さんはしばし迷ったすえ、
「萌え散れ」
と言った。
涼しげな表情を保ったまま、日本狗の手の中で、扇がぱちんと閉じられた。
鬼子さんの頭髪の竜が電流を流したように伸び上がり、頭上で巨大なつぼみを形作った。
つぼみが開花すると同時に、竜は目の色を失って四方八方に伸びはじめた。
先ほどまで鬼子さんを見守っていた心の鬼たちは紅葉を散らして逃げ惑った。竜は悲鳴にも似た甲高い鳴き声を上げて地上を駆け巡り、手当たり次第に鬼たちを食べていった。
心の鬼に取り憑かれて震えていた小日本だったが、その鬼が逃げてゆき、ようやく手足の自由がきくようになった。
「……萌え咲けっ!」
すばやく弓を構えて弦をはじくと、青い結界が生じて竜の突進を防いだ。だが、竜は途絶えることなく矢継ぎ早に頭をぶつけてくる。その重圧で結界がきしみはじめた。
「そんな……!」
とうとう結界が破れ、竜が大口を開いて飛びかかってきた。そのときだ。
「伏せろ、虚乳ちゃーんっ!」
空から降ってきた白い鳥が、真っ先に飛びかかってきた竜を地面にねじ伏せた。
さらに埃の舞い上がる地面から、和服の男がむっくりと立ち上がった。
「もう少し優雅な復活をしたかったが、無理な相談か」
小日本は突然の二匹の登場に当惑していた。
「そんな……どうして……」
ヤイカガシは小日本に背を貸しながら、手のひらを差し出した。
「とりあえずいま穿いているものを寄越せ、話はそれからだ」
降下してきたヒワイドリがヤイカガシに直撃した。ヤイカガシは下半身がずっぽり地面にうずまったまま不平をもらした。
「美女のパンツを求めるのは紳士の嗜みではないか」
「うるさい、今度は俺が活躍する番だからな。お前はそこで大人しく見てろ」
「ひどいな、私たちはいちど融合した仲ではなかったか」
「やめろ二度と思い出させるな!」
「きゃああんっ、そんな所はいっちゃダメぇ〜っ」
そのとき、鬼子さんの方からいかがわしい悲鳴が起こり、二匹はぴたりと諍いを止めてそちらを見た。
まさにその隙に彼らの背後を一匹の竜が猛スピードで通過していった。
「きゃああああっ」
小日本は断末魔を残して姿を消してしまった。
「はっ、しまった……こに……!」
ヒワイドリとヤイカガシは慌ててあたりを見回すが、彼女の姿はもはやどこにも見あたらなかった。
「奥義、忘音坊『蝕』!」
日本狗の発動した術により、本成日本鬼子さんの頭髪を構成する数千匹もの竜が荒れ狂った。互いに牙を突き立て、縦糸と横糸のように絡み合い、連綿と続く錦を大地に生み出していた。
ところどころ心の鬼が入り乱れるその絵柄は、まさに百鬼夜行を連想させるものであった。
「姉御ォ!」
上空に飛び上がっていたヒワイドリが、収穫したての魚のようにヤイカガシの背中を掴んだまま叫んだ。
「ちくしょう、あのわんこめ許せんでヤンス!」
「待つでゲス、あっしらはまだ戦えるほど回復していないでゲス!」
「鬼払い、完了」
日本狗は背広からクシを取り出し、乱れた銀髪を整えていた。
彼が見つめるまだら模様の中に、竜を従えていたはずの鬼子さんの姿さえも覆い隠されている。
「鬼族の力を得られなかったのは残念ですが、いいでしょう。最終的に友好的か強制的かの違いになるだけでしょうからね。
……まあ、妖怪の国を欲している種族なら他に腐るほどいる」
彼は満月を見上げるような仕草で細い顎を上げ、真っ赤な天狗の面を被った。
途端に黒いスーツ姿からけむくじゃらの犬の姿になり、四つん這いの獣のように遥か遠くまで飛び跳ねると、そのまま暗闇のどこかに消えてしまった。
後には混乱する黒い竜たちだけが残された。
「どうなってんだ、中がさっぱり見えない!」
「ヒワイ、こうなったらあれだ!」
「おう、あれか!」
何やら合図を交わしあうと、ヤイカガシがヒワイドリの背中に飛び乗った。両手の柊を交差させ、気合を発しはじめた。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……!」
なにやら怪しげな声を出してぶるぶる震えはじめたヤイカガシは、全身からオーラのようなものを発し始めた。
それはよほど重たいガスなのだろうか、ヒワイドリが白い翼を打ちながら上空を飛び回ると、たちまち辺り一面が同じオーラに満ち始めた。
布地を作っていた竜はぴたりと活動を止め、複雑に絡み合っていたそれらは本物の頭髪のようにか細くなり、さらりとほどけた。
中心の大きな繭も割れ、その中から真っ赤な着物の鬼子さんが現れた。
東西を問わず、目に見えない臭気は目に見えない鬼の力に対抗できると信仰されている。
その力によるものか、本成から生成の状態にまで戻された鬼子さんは、目立った外傷こそ残されていなかったが、ひどく青ざめていた。まるで二日酔いの症状でも現れたかのように頭を押えている。
「姉御ーっ!」
「姉御、大丈夫でヤンスかーっ!」
すぐに駆けつけてくるストーカーたちだったが、鬼子さんは首をぶるぶる振った。
「私なら大丈夫、私の中の鬼が、守って、くれたから……ああっ!」
黒竜が消え、露わになった焼け野原に鬼子さんは目をむいた。
鬼子さんはふらふらになりながら、そこに倒れている人影に駆け寄っていった。
「こにぽんっ」
そこには小日本が倒れていた。鬼子さんが抱きかかえると、うっすらと目を開いた。
「ヤイカ、ヒワイ、急いでお蕎麦持ってきて! ひどい、いったい誰がこんな事をっ」
「うぐ……おねーちゃん」
小日本の細腕が、鬼子さんの着物をぐっと掴んだ。
不思議なものでも見るように鬼子さんを見上げている。
「どうして……私、おねーちゃんを……だまして」
鬼子さんは何も答えずに、ふるふると首を振っていた。
「それは……」
「姉御ーっ」
「お蕎麦持ってきやしたぜーっ」
二匹がどこからか岡持ちごと調達してきた蕎麦を、鬼子さんはさっそく箸ですくってふーふーしていた。
その懸命な姿を見ながら、小日本は悲しみにかげった笑みをかえした。
「惜しかったな、妖怪の国も見たかったけど……妖狐の里を抜け出したとき、本当は私が日本狗についていったのは……ごふっ」
鬼子さんはわんこ蕎麦を小日本の口にぎゅうぎゅう詰め込んでいた。
「しっかりして、お蕎麦食べて! 元気になるから!」
小日本は口の中のそれを頑張って嚥下してから言葉を紡いだ。
「本当の、家族を、探したかったから……」
鬼子さんは次の蕎麦を手にしたまま固まってしまった。
「こに……」
小日本は口元に蕎麦の切れ端をくっつけ、まっすぐに鬼子を見つめていた。
「わたし、本当はずっと思っていたの……鬼子さんが、私の本当のおねーちゃんなんじゃ、ないかって……」
鬼子さんは再び言葉に出来ない悲しみを表情に浮かべた。小日本はわざとそれを見ようとしない。
「違うよね、そんな訳ない、だって、本当の私は全然違うもの。私は悪い子だし。髪の色だって、目の色だって……けど、もし、生まれ変わったら……」
言葉の途中で気を失いかけた小日本に、鬼子さんはさらに蕎麦を詰め込んだ。
「こにぽん、しっかりして!」
「姉御、無理でヤンス!」
「それ以上喋っちゃだめだ!」
「もし、生まれ変わったら……角も、髪の毛も、みんな、おねーちゃんと一緒が、いいな」
「目を開けて! 開けてってば! 開けないとヤイカガシの刑よ!」
ヤイカガシは一瞬息が詰まったように自分の胸に手を当てた。
「こにぽん、私は何があったってあなたの事を心配するわ、たとえあなたが何をしたって許すわ。
だってそう決めたもの。血が証になってくれなくとも、それが姉妹の証になってくれると思うの。
私の中にも鬼が巣くっていたの、自ら生み出した鬼がいたの。
戦乱の時期に、たくさんの鬼の子が妖狐の里に預けられた話を聞いて、私の妹もその一人だって。けれど、ほんとうの私の妹は、もう……」
ヤイカガシは上げた手をそのまま誰にも気づかれることなく動かし、さりげなく首筋をかいた。
小日本は最後の力を使って、微笑んだ表情を保っていた。
「ヤイカガシの刑……なんだか、凄そう……」
あたりには、どこからともなく降ってくる桜の花びらがふわふわと舞っていた。
その一片が小日本の頬に当たってはらりと落ちた。
「ごめん、お腹がいっぱいになったら、なんだか凄く眠いわ……私もう寝るね……」
数日後、静岡駅前もようやく復興の目処が立ち始めた。
鬼子さんは山奥で見つけた小屋に居を構え、一人静かに縁側に座っていた。
奥では全身に包帯をまいたガノタ青年がゴロゴロころがりつつ、般若の面を被った猫から逃げ惑っていた。
「やめろーっ、じゃれるなーっ」
「コラじっとしてな、治してやんないよ!」
「ぎゃあーっ……がくっ」
瓦礫の中に埋もれていたのを救出された青年は、なんの縁があってかこうして鬼子さんの家に転がり込んでいた。
こういうキャラは本当にしぶとく生き残るのが世の常である。
いつもやられ役のヤイカガシとヒワイドリが縁側の下に身をひそめ、般ニャーの暴れっぷりに戦々恐々していた。
「姉御、食べないんでヤスか、それ」
ヒワイドリが横目でじいっと見ているのは、鬼子さんの手の中の桃の実であった。
鬼子さんはそれをいつまでも飽きずに眺めていた。
「食いしん坊の姉御が珍しい。あっしが食べてもいいっすか?」
「バッカだなお前、プリン事件の事を忘れたのか」
「う……(説明しよう、プリン事件とは! とある妖怪が大事にとっておいたプリンをどこかの食いしん坊さんが横取りして怨みを買ってしまい、壮絶な死闘にまで発展した事件である!)」
「姉御はあの戦いで敵の考えに触発されたんだよ、プリンも桃も、熟した方が数段美味しいと考えるようになったんだ」
「な、なるほど、すげーなヤイカ天才かお前は」
どうでもいい雑談をする彼らの目の前に、般ニャーの鋭い爪が突き立てられた。二匹はぎゃっと声をあげてウサギのように退散した。
「まったく、こんな時ぐらいバカやらずにいられないのかね。食い物じゃないよ。そいつは魂だ」
般ニャーは鬼子さんの隣に猫らしく丸まり、退屈そうにあくびをした。
鬼子は桃を撫でながら薄く微笑んだ。
「ありがとう、般ニャー」
「にゃっはっは、わたしはこの面を貸しただけだよ。どんな厄介な子が生まれてくるか知らないし、うまく復活できるかどうかもわかんないからね。最悪の場合――戦う事になるかもしれない」
あの後、再びどこからともなく現れた般ニャーが、小日本に面をかぶせた。猫又の面である。
猫は複数の魂を持っており、死んだ後に猫又となって蘇るという。しかし全ての猫が蘇る訳でもなく、蘇っても前と同じ猫になるとは限らない。
それでも、鬼子さんはその魂をじっと見守っていた。
「うん、分かってる。……けど、いいの。私の妹だもの。
――どんなおっぱいでもいい――
元気に育ってくれれば、それで」
「まだ居たのかい、トリィ!」
血相を変えた般ニャーは、ヒワイドリを追いかけて勢いよく飛び出していった。
「あ、は、般ニャー……」
鬼子さんが呼び止めようとしたそのとき、手の中で桃が勢いよく光りはじめた。
「わっ、般ニャー、この子いきなり光りはじめたわっ、ど、ど、どうするのっ?」
しかし、般ニャーの姿はそこにない。人里はなれた屋敷には気を失ったガノタ青年がひとり伸びているだけであった。
鬼子さんはパニックになり、庭に駆け出していった。
「般ニャーっ! ヒワイ、ヤイカ、だ、誰かっ! 誰か来てーっ!」
やがて桃からひときわ強い光が放たれ、周囲は春のような汗ばむ陽気になった。
白い蝶がひらひらと目の前をかすめてゆき、一瞬幻かと鬼子さんは疑った。
どこからか鶯の声がし、何も無かった庭には緑が萌え、黄色い花がぽこぽこと芽吹き始めた。
「う、生まれるっ!? どうしたらいいのっ!? 誰か、妹が生まれるっ! 助けてっ!」
わたわたする鬼子さんの手の中で、桃が勢いよく二つに割れ、やがて春が生まれた。