安倍首相自ら口説いた参院選トンデモ候補青山繁晴
“舛添ブーメラン”自民を直撃!
「450万円私的流用」で共同通信を退社の過去
- 趣味の乗馬を経費で請求 家族旅行でハイヤー使用疑惑
- 舛添氏を「人間はここまで卑しくなれるのか」と断罪
- TVの人気コメンテーター怪スクープ連発あだ名は”文豪“
舛添要一氏の東京都知事辞任劇はメディアにも大きな問いを投げかけた。公職に立候補した人間の資質をきちんとチェックできているのか。特に公示直前に立候補した人物ともなれば、検証の目は届きにくくなる。政権与党が最後に公認した人物を調べてみるとーー。
「(六月)十二日に突如、日中のお忙しいはずの時間帯に安倍総理から電話があり、『参院の比例候補で出てもらいたい』と言われたのです」
参院選の公示日を二日後に控えた六月二十日、自民党の”最後の男“として、比例区で出馬表明したのが、テレビの人気コメンテーターで、シンクタンク代表を努める青山繁晴氏(63)だった。
「出馬を後押ししたのは世耕弘成官房副長官です。本部は、選挙カーの台数が増えるなど、さまざまな優遇がある比例二十五名の公認にこだわっていました。ただ、最後の二十五人目については、『知名度があるから公示直前でも大丈夫』と自信をのぞかせていましたね」(自民党担当記者)
安倍晋三首相自らが、出馬を口説き落としたという青山氏は共同通信の元記者。自ら設立した民間シンクタンク・独立総合研究所の代表として、国家安全保障会議(日本版NSC)創設の有識者会議議員などの政府の有識者委員も歴任する。
千五百万円の経費が問題に
永田町でもよく知られた存在だった。
「青山氏の父親は元建設大臣の後援会会長であり、現役記者時代、河本派を担当し、海部俊樹元首相に食い込んでいたことは有名です。最近は、保守派の論客として、安倍政権との関係を深め、衆院選や大阪府知事選への出馬も噂されました」(同前)
また、並行して安全保障や外交などをテレビで解説するコメンテーターとしても活躍。とりわけ出身地である関西での知名度は抜群だ。在阪テレビ局のディレクターが語る。
「関西で絶大な人気を誇っていた故・やしきたかじんさんの人気番組『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)や、硬派な報道番組で知られる『スーパーニュースアンカー』(関西テレビ)などの番組に出演しており、知られた存在です。『たかじんNOマネー』は、たかじんさんの闘病中に、代役で司会をしばらく務めていたほどです」
テレビだけでなく、著作を出版したり雑誌連載を持ち、切れ味鋭く、国内外の諸問題を斬ってきた。東京都知事を辞任した舛添要一氏については、次のように厳しく批判している。
〈マスゾエ騒動は、あまりにけがらわしく、(略)「小さくて、セコい」から思わず、もう忘れたくなる。しかしそれが暴いた問題は広く、深く、重い〉
〈一体どんな教育によって、人間はここまで卑しくなれるのか〉
〈人間性の問題が根っこにある。
なぜこんな人間が育つのか〉(「月刊Hanada」二〇一六年八月号)
そんな青山氏に対して、自民党は大きな期待を掛けているという。
「事前の予測では、自民党への支持は堅調で、比例区では二十議席前後の獲得が見込まれます。青山氏が掲げる『議員は一期しかやらない』『政治献金は一円も受け取らない』『TPP反対』などの公約には、疑問の声もあがっていますが、党本部は、SPEEDの今井絵理子氏と同じ程度の票数を見込めると期待しています。参院選の比例区ではリストの上位に名前が来る候補者が有利と言われ、あ行の青山氏は上位になる。意中の比例候補がいない自民党員は、彼の名前を書くことが多いのではないかと見られています」(前出・記者)
ところがーー。古くから青山氏を知る複数の関係者は、「彼は舛添さんと一緒だよ」と、口を揃えるのだ。
神戸市出身の青山氏は早稲田大学政経学部を卒業すると、共同通信社で記者となった。青山氏が有名になったのは、九十六年のペルー日本大使公邸人質事件の取材だった。
「当時、政治部記者で外務省のサブキャップを務めていた彼は、事件発生直後からペルーの首都リマに飛びました。それから特殊部隊の強行突入で事件が解決するまで、約百三十日間、一度も帰国せずに現地で取材を続けていた。共同通信だけで、五十人以上の記者やカメラマンが交代で取材していましたが、一度も日本に帰国しなかったのは彼だけでした」(当時の同僚記者)
だが、この事件こそが青山氏の共同通信退社のきっかけになったのだ。
当時の事情に詳しい元同僚が明かす。
「彼はペルー滞在の四ヵ月で約千五百万円の経費を使った。そのうち少なくとも四百五十万円に私的流用の疑いが掛けられました」
中でも、ペルーの高級乗馬クラブの利用代金を取材費と称して、請求してきたことは周囲を驚かせた。
「乗馬クラブの代金を請求したことは政治部では知らない者はいないほど有名な話です。他にも、ホテルのメモパッドに、手書きで金額を書いた紙を領収書として提出するなど、きわめて杜撰な経理処理でした。当時は今と違って、さほど経費精算は厳しくなかった時代ですが、それでも『これはひどすぎる』と問題になったのです」(同前)
ペルー入りした五十人以上の記者やカメラマンのうち、経費を問題視されたのは青山氏だけだったという。当然、経理担当者は、青山氏に対して、私的利用分を支払うよう求めた。
「青山氏は、のらりくらりかわし続け、結局、半年間ほど交渉を続けていました。その結果、四百五十万円ほどを退職金で相殺する形にしたのです。実はワシントン支局への異動が決まっていたのですが、立ち消えになりました」(同前)
一九九七年大晦日をもって、青山氏は共同通信を退社する。その挨拶状が、同僚たちの間で話題になった。
「『円満に依願退職』と記されていたのです」(同前)
誰も知らない歴史的スクープ
実は、青山氏の”公私混同“は、他にもあった。
「ハイヤーの私的流用を疑われ、政治部内で問題になっていました。家族旅行で使っていた疑惑もあった。休日に何度も彼はハイヤーを使っていましたが、休みに彼が取材するほど忙しくなかったはずです」(政治部の元同僚)
共同通信を退社した青山氏は、三菱総研の研究員を経て、シンクタンクを設立し、メディアで活躍するようになっていく。その際、宣伝文句となったのが、記者時代の武勇伝だった。一例をあげれば、今回の参院選の選挙ビラにもこうある。
〈事件記者、経済記者、政治記者を歴任。「昭和天皇の吐血」など歴史的スクープ連発〉
だが、元共同通信記者で、現在ジャーナリストの青木理氏は首を傾げる。
「私は十六年務めましたが、共同の社内で、特ダネ記者として青山氏の名前を聞いたことがありません。青山氏がかかわったというペルー事件の取材でも、社内で評価されていたのは、ゲリラと交渉し、公邸内の取材を実現させたカメラマンでした」
ペルー大使公邸事件における青山氏の取材については、次のような指摘もある。
「たしかにペルー事件では、”独自ネタ“ばかり書いていましたが、情報源が『◯◯筋によると』とぼかされており、フィクションではないかと言われていました。他社の記者が、彼の”特ダネ“を追いかけようとしても一切ウラが取れないのです。そのため、彼についたあだ名は『文豪』(笑)。共同通信の加盟社の中には、ペルーに記者を派遣している社もあり、『ウラが取れない情報ばかり載せやがって』と抗議がきたと聞いています」(前出・当時の同僚記者)
本人が選挙ビラに記載する通り、”歴史的スクープ“として誇るのが、「昭和天皇の吐血」報道だ。
一九八八年九月、一年以上前から体調を崩されていた天皇陛下の吐血をスクープしたというのだ。
本人は、著書やテレビで次のように説明している。
政府高官が記者が殺到する官舎で、台所に青山氏を招き入れ、彼にしか聞こえない声で、「陛下は吐血」と漏らし、青山氏が口を動かさずに目で、「量は?」と尋ねたところ、洗面器を見て、「いっぱい」とだけ答えた。このやり取りの間、青山氏は一切言葉を発することはなく、目だけで質問したという。そして、「天皇陛下が吐血し、輸血中」と報じ、全国紙を出し抜いたーー。
本人は”歴史的スクープ“と言うのだが、当時宮内庁を取材していた他社の記者と見方が食い違う。
「九月十九日夜、日本テレビが『侍医長が急遽、皇居に向かった』と陛下の病状の急変をスクープし、全マスコミが大騒ぎとなったのです。陛下のご病状を巡っては、朝日新聞と日本テレビが頭一つ抜けていたというのが、当時の取材記者の認識です。日本テレビの第一報は、”歴史的スクープ“で、後に取材班は一連の取材を本にまとめたほどです。吐血については読売新聞が翌二十日の一面トップで報じており、青山氏の報道は全く印象に残っていません」
共同通信を退社した後も、青山氏の”特ダネ“が物議を醸したことがあった。
二〇一一年の四月末、東日本大震災に見舞われたばかりの東京電力福島第一原発を電撃訪問。吉田昌郎所長にインタビューし、その様子をテレビや写真週刊誌などで公開したのだ。
しかし、青山氏は、原子力委員会の専門委員という立場を利用して、インタビューを行い、公表したと政府から抗議を受けた。
「吉田所長は青山氏のことを知らず、後日『あの人は何の仕事をしている人ですか』と周囲に尋ねていました。『専門的なことは何も聞かれなかったし、取材とは思わず、公開されるとは思っていなかった』と語っていました。吉田さん自身はテレビの放送を見ていなかったようですが、『会社から小言を言われて参ったよ』とボヤいていました」(東電関係者)
果たして、これらの疑惑は本当なのか。小誌が、共同通信の福山正喜社長に、青山氏の私的流用疑惑について確認を求めると「選挙に出馬した人のことなので、ノーコメントでお願いします」と語るだけだった。
ただ、選挙に出馬し、国家権力の行使に大きな影響を与える与党国会議員になろうとする人物である以上、経歴、資質、言動をきちんと検証し、有権者に伝えるべきではないか。
小誌記者は、街頭演説を終えたばかりの青山氏を直撃した。
ーー共同通信を退社する際、ペルー取材時の経費が問題となって、退職したのは事実ですか。
「事実です。当時、政治部の上層部が総務から『取材相手の官僚の名前を言え』と言われて、僕は出来ないといって断ったんです」
当時はスペイン語が話せた
ーー経費の約千五百万円のうち約四百五十万円を退職金で相殺せざるを得なくなった。そこに乗馬クラブの利用費も含まれているのか。
「それは本当です。ただ乗馬クラブを利用したのは、ペルー国家警察軍の大佐から『白人が集まっている場所で、本来、日本人は入れないけど紹介する。そこに行けば本当の裏交渉が全て分かる』と言われたから。実際は乗馬クラブではなく、競馬場にある貴賓室だったのです。ただ、その貴賓室に入るには、隣にある乗馬クラブに入る必要があったんです。
ペルー社会は白人社会で、フジモリ大統領がどういう交渉をしているかというのは白人の貴族社会でないとわからないのです。それで実際、貴賓室で裏交渉の話は随分聞きました。だから当時の僕は毎日特ダネ状態でしたね」
ーー現地の人間にどうやって取材したのですか?
「僕は当時スペイン語をしゃべっていた。当時だけね、今は忘れたけど。余談ですけど、中国に行ったら二日目の夜から中国語を話せますよ」
また現地の日本政府から派遣された役人が詰める対策本部への取材でも経費がかかったという。
「あるホテルのフィットネスジムに対策本部が設置されたんですが、記者は一切近づけなかった。そこでホテル内へ食事を運ぶボーイにチップを渡して、メモを渡してもらうよう頼んだのです。たとえば『ペルー市内のサッカー場のB出口に午前三時』。そう書いておけば三回に一度は来てくれる。共同通信を辞めるときに、ボーイの名前、取材相手の官僚を全部教えろと言われたので、『それはお断りします』と。僕だけじゃなく、ジャーナリズムの自殺行為ですから」
ーーそうした取材先に払った金が四百五十万円になったということか。
「そうです。でも半年間ですから、むしろ少ない額だと思います」
ーー私的なお金は混じっていないのか。
「あの事件中に、どうやって私的に使うことができるのか僕は聞きたいくらいですよ」
ーー乗馬クラブは私的流用ではないのか。選挙ビラにも「趣味乗馬」とあります。実際に現地で乗馬しなかった?
「このとき生まれて初めて馬に乗ったんですよ。最初は馬があんなに大きいとは知らなくて、足が全然届かないんですよ。『お前は初心者なのに馬に乗ろうとするな』と断られたから、もう一度紹介してもらい直したんです。それで最初はロバから乗ったんです」
ーー乗馬は何回くらいしたのか。
「全部で十回いかないくらいかな」
ーーペルーでの経験がきっかけで乗馬が趣味に?
「なってないですよ」
ーー選挙ビラにも乗馬は趣味と書かれているが。
「申し訳ないけど、僕は運動神経いいから十回に満たない時に、障害を飛び越えられましたからね。日本に帰ってきてからは一度軽井沢で乗った、それだけですよ」
ーーまたペルー事件では、ウラ取りできない記事ばかり書いていたため、抗議が殺到したといわれているが。
「最終的にフジモリ大統領の武力による強行突入を見抜けなかったし、なぜ分からなかったのかという問い合わせは当然あったと思います。でもそこに至るまで、日本政府とペルー政府が犯人側とどういう交渉をしているかについて、一度も間違えていませんし、抗議があったと聞いたことはありません」
ーー政治部記者時代、休日の家族旅行などに、社のハイヤーを使っていて、舛添氏と同じ公私混同ではないかという指摘もある。
「誰が舛添さんと一緒なんだよ。失礼だよ!そんなことあるわけないじゃない。僕がテレビに出るようになったら、脅迫電話をかけてきたり、選挙に出たり、テレビに出たりすると、嫉妬に狂うバカタレがいるんです。生き方が違うから相手にはしませんけど」
ーー昭和天皇の容態については、日本テレビが最初にスクープしたと言われていますが。
「それは知らない、僕は。解釈の違いじゃないですか。私たちが理解している限りは、共同通信の一報が最初です」
その後、追加の質問を改めて書面で送ると、秘書から小誌記者の携帯に電話があった。電話を代わった青山氏は、こうまくしたてるのだ。
「元記者として申し上げたいのは、あまりにも志が低くないですか。What is purpose?
実際に悪いことをした舛添を叩くのは正しいけども、間違ったことをしていない人間に対してこんなことをしていたら、本当に天の怒りが下りますよ」
小誌記者を罵倒する青山氏
ひとしきり怒りをぶちまけた後、「元記者だから、どんな質問でも答える」という青山氏。
ーー安倍首相からの出馬要請は本当にあったのか。
「六月六日月曜日(注・冒頭の出馬会見とは食い違うが本人発言ママ)の午後一時から、ビジネス誌の取材を受けていると、総理から電話が突然あったんです。普段は私から一方的にかけるだけで三回に一度くらいしか出てくれない。だから珍しいなと思っていると、『参院選に出てください』と。僕が国会で質問すれば外務省、経産省が変わり、そして自民党の部会で話してくれたら議員が変わるとおっしゃってくれたんです」
ーー福島第一原発には、どういう立場で?
「専門家で手を挙げたのが僕しかおらず、吉田所長から専門家の眼で見て欲しいということだったんですよ。ジャーナリストの立場で取材したのではありません」
ーー吉田所長には映像を公開すると伝えていたのか。
「当たり前じゃないですか。公開しますけどよろしいですかと聞いて、カメラを横に置いて話したんです。どこの誰が吉田さんの許可を得ないで映像を出そうとするのか。
本当に恥ずかしいヤツだな。そんなことで給料をもらってどうするんだ、お前は。人間が腐りかけているぞ。家に帰って裸になった自分を見てみろ!」
自分の意に沿わない質問が出るたび、小誌記者を激しく罵倒する。
たとえば共同通信を退社した後、三菱総研に入社する際、政治家の紹介があったのかと尋ねたときのことだった。
「なに寝言、言ってんだよ。三菱総研が防衛の専門家を探してたんだよ。お前ら本当に人間のクズだな。発想が貧困で、ワンパターンで人を貶めようとする、それがあなたの仕事なんだ。恥ずかしいねー。親に会わせる顔がないんじゃないか。お前らの頭の中は一体、どうなってんだよ」
そして、取材の最後に、謝意を述べると、なぜか次のように怒りを爆発させ、一方的に電話を切るのだった。
「お礼なんか言ってもらわなくて結構だ! 恥を知れ! 自分を取材しろ! 自分の心根を取材しろ!」
青山氏を知る関係者が語る。
「彼はラジオなどで、スキー場で猛吹雪の中、ボード用のジャンプ台から飛んで左腰の骨五本を引きちぎるように骨折したが、その後、スキーで滑ってホテルに戻ったなどと、にわかに信じがたい話を語っている。テレビコメンテーターとしては許されていたとしても、舛添氏同様、政治家となって、税金をもらう立場になるのであれば、国民の理解に耐えうる説明をしなければなりません」
安倍首相、自ら出馬を口説いたという青山氏。身体検査は大丈夫ですよね。